君は君自身の美意識を燃やして走る機関車であればいいよ

「君は僕のことを恐がりすぎだ」

柳下さんによくそう言われるのだけれど、編集者というのは書き手にとり程度の差こそあれ恐いものだと思う。編集者は書き手にとって「発注主」とか「第一の読者」を超えて、「メンター」や「先生」という役割を担っている。書き手ががりがりと下を向き、まるで土を掘っていくかのように書いているのを、編集者はより引いた目線で俯瞰して見る。そして「君はどこへ向かいたいのだろう」と言う。わたしは泥だらけの顔をあげて「えっ?」と聞く。そしてまわりを見渡して、ここはどこだろう、などと思うのだ。本当にここに来たかったんだろうか? 掘ってきた道筋は、誰かがすでに通ったあとで柔らかかったから辿ってきたんじゃないだろうか? 本当はもっともっと深く掘れたんじゃないだろうか?
わたしはスコップを持ったままどきどきする。上を見上げると、編集者が見ている。
 
いちばん近い他者の目は恐い。それがもっとも騙せないから。わたしにとって柳下さんという編集者が恐いのは、きっといつも、自分すらも、いや自分だからこそ見誤る、本当のことを見られそうだからだと思う。


そんな柳下さんがもっとも恐かった日のことを書こうと思う。
わたしと柳下さんは一緒に新幹線に乗って、東京から京都へと帰っていた。
その何日か前に、わたしは柳下さんにある原稿を見せていた。その原稿について、柳下さんが切り出した。

「あの原稿は、いつもの君の文章らしくないね」
普段どおりの穏やかな表情でそう言われたのだが、わたしはひゅっと背筋が寒くなった。
「うん、そう」
と、緊張しながら答える。

「あれはどれくらいの期間で書いたの?」
「ええと、テープ起こし含めて1日で書いた。取材の翌日が締切で……」
「へえ1日! それは、たいしたもんだ」
柳下さんは感心したように何度かうなずく。わたしは胃がキリキリして、親指の付け根をむしった(極度に緊張したときの癖だ)。

「いや、おもしろい原稿だったよ」
「そうかな、ありがとう」
「うん、でも、君はあの原稿をどう思ってるの?」

わたしは前の席にかけられた、白い布を見る。
「自分の文章らしくないな、って思ってる」

「そうだよね? 君の文章らしくないよね?」
「うん……」
「僕は君の文章が大好きだ。くるぶしより上の体重をすべて文字に乗せて書いているのがわかるからだよ。でもこの文章は、手首から先だけで書いているよね?」
「……」
「うまくまとまっているし、内容もおもしろいと思う。クオリティに問題はないだろう。だけど、君は本当にこの文章が書きたかったの?」
「……」
「この文章はインターネットという宇宙に永久に残り、何度も読まれ続けるよ。君はそのことを本当に望んでいるの?」
「……望んでない」

すると、柳下さんはにっこり笑って、
「そうだよね!」
と言った。

わたしは泣きそうになりながら反論にもならない反論をする。
「だけど、先方のイメージはあんな感じで……あんな感じで書いてほしいって言われていて……OKももう出てて〆切も過ぎてて……」
柳下さんは何が問題なのかわからないという顔をした。
「だけど、君は自分の書いたあの文章が好きじゃないんでしょう?」
そして、
「そんな文章を売るんだったら、君は作家じゃなくて売文家だね」
と、朗らかに言うのだった。

わたしは新幹線の座席で漏らしてしまうのではないかと思うくらい彼が恐かった。彼はにこにこ笑っていたが、一切目は笑っていない。そんな目で、わたしを横からじっと見てくる。
わたしは観念して、
「書き直す。書き直します!」
と、両手で顔を覆いながらそう言った。
柳下さんはうんうんとうなずく。
「大丈夫、君なら書けるよ」
そして、
「美文の反対は悪文じゃない。妥協した文章だ。そう思わない?」
と言った。


クライアントには平謝りをしてもう一度書き直させてほしいとお願いした。先方は受け入れてくださり、その後、わたしは家に帰ってから一気に書き上げた。

「〆切、間に合うかな」
「寝なければいいんだよ」
「いい文章、書けるかな」
「君が『土門蘭』として文章を書くことができるなら、絶対にいい文章が書けるよ」

わたしはふたたびスコップを手にして、土を掘り続けた。
〆切がいつだから、クライアントのイメージがどうだから、そういうのを一旦すべて横に置き、本当に書きたいものを書いた。
土は硬い。当たり前だ、自分しか掘ったことのない場所なのだから。ああ、でもそう、こうやって書いてきたんだった。そして、こうやって書いてきた文章だからこそ、わたしは自分の文章が「好きだ」と言えるんだった。

できあがった原稿を、柳下さんに送った。
柳下さんはすぐに読んでくれて、すぐに返信をくれた。
「すごくいい文章」
わたしは安心して、文字通り膝から崩れ落ちた。



「あのときは本当に恐かったなあ」
後日わたしは何度もそう言うことになる。わたしの中では「土門蘭売文家事件」として歴史に刻み付けられている。
彼は笑いながら、やはり「君は僕を恐がりすぎだよ」と言った。
「僕は全然怒ってないし、責めてもないんだよ。ただ、君が本当にあの文章を「良い」と思っているのかを知りたかったんだ」

ふと、あのときの自分の恐怖を思い出す。
あのときの恐怖は、もしかしたら柳下さんへではなく、自分自身を見ることだったのかもしれない。妥協したまま掘り続けた、その美しくもない軌跡を見ることだったのかもしれない。

「僕があのとき知りたかったのは君の美意識だ。その基準が僕の思っていたよりも浅いところにあるのなら、僕は今後もっと自分の意見を強く言おうと思った。その調整をあのときしていたんだよ」


なるほどな、と思う。つまり、わたしの曇っていた美意識を彼は磨いただけなのだ。
君の書いている文章を、君は本当に「美しい」と思っているのか? と問うていただけなのだ。

いつだったか彼に言われたことがある。
「君は君自身の美意識を燃やして走る機関車であればいいよ」
それが「土門蘭」として書くことなのだと。

こんなに厳しく、でもこんなに幸せな「書く」がこの世にあるだろうか。
だからわたしは柳下さんを恐がりながらも、いつも心から感謝している。


掘り続ける先にはきっときれいな石があり、走り続ける先にはきっと絶景が待っている。
それを決して諦めるなと言ってくれるのが、編集者なのだと思う。