窓を開けた人

柳下さんとわたしは、小さな出版社を営んでいる。

このあいだ、あるブックフェアに出店して、自分たちの本を売った。
2日間あって、わたしは両日とも店番に立った。
柳下さんはそのときとても忙しくて、もしかしたら来られないかもしれないと言っていたのだけど、なんとか時間を空けて2日目のお昼に来てくれた。

「遅くなってごめんね!」
そう言って会場の出店ブースに現れた彼は、頭にタオルを巻いて、Tシャツ短パン姿。5月だったけれど、夏真っ盛りな格好だった。

そして着いた瞬間に、こう言った。
「ねえ、どうして窓開けないの?」

わたしは「窓?」と聞き返す。
わたしたちの出店ブースは窓側にあり、目の前のすりガラスの窓はすべて閉まっていた。
館内は冷房がかかっているし、閉まっているのが当然だと思っていたわたしは、彼の言葉に戸惑った。
そんなわたしに構うことなく、彼はすたすたと窓に近づく。
そして、次々と窓を開け始めたのだった。

「あ」と思わず声が出る。
初夏の風がすべりこんで、目の前に大きな青い空が広がる。
両隣のブースの人たちが顔をあげ、飛びそうになる紙を手で抑える。
通り過ぎようとしたお客さんが立ち止まり、窓に手をかけて外を眺めた。

柳下さんが振り返って言った。
「ほら、開けたほうが気持ちがいいでしょう? お祭りは、空が見えないとね!」



高校生のときに、田口ランディさんの本を読んでいて、その中の言葉にとても救われたことがある。
「世界は自分が編集している」

わたしはその言葉を読んで、「あ」と思わず声を出した。
そして顔をあげ、部屋の中を見渡した。早く出たいと思っていた部屋。貧しくて、殺風景で、日当たりが悪くて、人がいなくて。家にいるのもいやだったけれど、学校も好きじゃなかったし、遊びに行くところもなかった。どこかへ行きたい。その「どこか」が一体どこなのかも、わからなかった。

17歳のころの、ちっぽけな「世界」。
それを編集しているのは「自分」なのだと、そのとき初めて知った気がする。
嫌いだと思っていた世界は、自分がそのようにつくりあげたものなのだと。



柳下さんが開け放した窓は、そのままブックフェアが終わるまでずっと開かれていた。
窓の外からは音楽や人の声が聴こえ、広がる空は次第に色を変えていく。
目の前を歩く人が立ち止まり、窓の外を見ながらビールを飲み、談笑する。
1日目の灰色の壁と窓からは、想像もできなかった風景だった。


「まさか、窓を開けるとは思わなかったな」
そう言うと、柳下さんは目を丸くした。

「え? 1日目はずっと閉まってたの?」
「うん、閉まってた」
「ほんとに? 誰も開けなかったの? 僕はそっちのほうがびっくりだよ!」

柳下さんは本当に驚いた顔をして、「ほんとに?」と繰り返す。

「なんで開けなかったの? 開けたほうが絶対気持ちいいじゃん」
「うーん、勝手に開けちゃだめなんじゃないかなって思ってたから」

そう言いながら、いや、ちがうな、とわたしは前言撤回する。

「開けたら気持ちがいいだなんて、思ってもみなかったから」

柳下さんはそれを聞いても、「ふーん」とまったく腑に落ちない顔をした。
そして、
「だって、お祭りには空が見えないとさ」
と、また言うのだった。


そのあとの飲み会では、柳下さんはいろいろな人に「窓を開けた人だ」と言われたらしい。
「窓を開けた人って、なにかの宗教みたいだよね」
と柳下さんは笑っていたけれど、わたしはさもありなん、と思う。

「世界は自分が編集している」
この言葉どおりに捉えるならば、神様はもっとも大きな媒体の編集者なのだから、「窓を開ける」行為が宗教じみるのも無理はない。


「さすが編集者だね」
わたしがそう言うと、柳下さんは「ええ? どういうこと?」と言って笑った。