編集者とわたし

初めて小説を書いたのは、高校生のときだ。
それから大学で1作品、社会人になり3作品書いた。

社会人になってからの3作品は、文芸誌の新人賞に応募した。
だけどそのどれも、賞をとることは叶わなかった。

仕事をしながら小説を書いていた。
原稿用紙100枚の小説を書くのに、何ヶ月も、ときには1年以上かかる。
書きながら、「なんでこんなに苦労してまで書いてるんだろう」と思うことがたびたびあった。
誰に望まれているわけでもない。お金をもらえるわけでも、喜ばれるわけでも、待たれているわけでもない。それでいて、小説を書いているあいだは、とても苦しい。

ある作品は新人賞の最終選考まで残ったものの、選考委員にけちょんけちょんに言われ、めちゃくちゃに落ち込んだ。「本当に、なんでこんな思いをしてまで書いてるんだろう」と思った。もう書きたくないな、と。

それでも、しばらくしたらまた書き始めるのである。
なんのために?
自分でもわからなかった。
ただ、よい小説が書きたい、と思っていた。


「編集者についてもらうにはどうしたらいいのだろうか」
30歳を過ぎたくらいのときに、そう考えた。
わたしひとりでは、多分もうここが限界だ。
どこをどうしたらよい小説を書けるのか、自分ひとりではちっともわからない。
編集者についてもらったら、もしかしたらよい小説が書けるかもしれないと思った。

思い切って、友人の編集者に相談した。彼に小説を書いていることを言うのは初めてだった。すると、彼はあっさりこう言った。
「編集者をつけるにはまず、新人賞をとることやな」

それを聞いて「やっぱりそうだよな」と思った。
編集者だって、仕事でやっているのだ。
ひとりの力で賞もとれない無名の一般人に、労力をかける暇がどこにあろうか。
わたしはそれを聞き、「つまりわたしには、無理だということなのだな」と思った。それでもう、小説を書くのはやめよう、と思った。
やめられるかどうかわからないけれど、とにかく諦めようと。

そんなわたしの目の前に現れたのが、柳下さんだった。
彼はわたしの文章を、ブログやフリーペーパーなどで読んでくれていた。
わたしがこれまで小説を書いていたことを、誰かに聞いたらしい。
ある日、お茶をしているときに、
「僕が編集につくので、小説を書きませんか」
と言われた。彼はわたしの文章が好きだと言った。だから、小説も読んでみたいと。

わたしは本当にびっくりした。
その瞬間、頭の中で、がーっとふたりのわたしが話し始めた。

「チャンスだ。これはすごいチャンスだ」
「いやいや、相手は出版のプロだよ? 一体何冊の本を読んできたと思ってるの? そんな相手に読ませる原稿なんて、書けるわけないじゃん」
「いや、でもこれで引いたらきっとわたしは一生後悔する」
「絶対恥かくだけだって。柳下さんをがっかりさせて、自分もがっかりするだけだって。そしたら今度こそ、一生書けなくなるよ」

この間、2秒くらいだったと思う。
わたしは「よろしくお願いします」と頭を下げた。
恥なんていくらでもかけばいいと思った。
そもそもわたしには、何もないのだから。
良い小説が書けるチャンスがあるなら、その髪の毛をつかむだけだ。
思い切りやって、それで一生書けなくなるなら、それでいい。


そうしてわたしは、彼と小説を書き始めた。
あれから一年半がたつ。
昨日、やっとその小説を、一旦最後まで書ききった。
これから赤字を鉛筆で入れ、細かいところを調整していく。

全部で一体何枚になったのだろう。わからない。
とにかく、出せるものはすべて振り絞った。
「本当に、すばらしい」
柳下さんが電話口で言って、わたしは電話越しに頭を下げた。


初めての打ち合わせのことを覚えている。
わたしは、柳下さんとラーメンを食べに行き、そこで質問をした。
「わたしと組むことによる、柳下さんのメリットは何ですか」

わたしはこれから、柳下さんのリソースを食うことになる。
小説を書きたいと思っているわたしにとっては、編集についてもらえるのはメリットしかないけれど、柳下さんに何か返せるのだろうかと不安になった。

柳下さんは言った。
「あなたの小説を読むことです」

わたしはぽかんとして、聞いた。
「それだけですか?」

柳下さんはうなずいて、
「もっと正確に言うなら、31歳の土門さんが書く小説を読むことです」
と言った。

「あなたはきっと、僕が編集につかなくても、ひとりでも書く人だと思います。
それで仮に、あなたが世に出るのが50歳だとしましょう。純粋な読者である僕には、50歳の土門蘭が書いた小説しか読めない。31歳の土門蘭が書いた小説を、読むことができないんです。
僕は、31歳、32歳、33歳の土門さんが書く小説を読んでみたい。それを読めるのが編集者です。だから僕にとっては、今のあなたが書く小説を一番に読めることが、メリットなんです」

わたしは、なんということだろう、と思った。
それで、もう一度念を押した。
「それだけですか?」
「それだけです」
他に何があるんですか、と彼は不思議そうな顔をした。


この間、東京駅で柳下さんと軽くお酒を飲んだ。
そのときに柳下さんに「ずっと聞きたかったことがあるんだけど」と尋ねた。
「なんで柳下さんは、わたしが小説を書けると、そこまで信じられるの?」

初めての小説を書き上げるのに、すでに1年以上かかっている。
本当に完成するのだろうか。毎日不安で、わたし自身のほうがよっぽど、自分のことを信じられない。
土門蘭は本当に、小説を書けるのだろうか?

柳下さんは即答した。
「君の書くものがすばらしいからだよ」
そして、「本当にそれだけだな」と言った。

わかった、とわたしは答えた。
「がんばって書くよ」
それだけしか言えなかったし、やっぱりそれだけなのだと思った。


「キーウィという鳥を知ってる?」
ふと、そう聞かれた。
「見た目がキウイフルーツみたいだからそういう名前なんだけど。翼が退化して小さくなっているんだ。それで、鳥なのに空が飛べない。そのかわり、足がすごく速いんだよ」
ずいぶん珍妙な鳥なんだなと笑っていると、
「キーウィのことを考えると、君のことを思い出すよ」
と、柳下さんが言った。

飛べなくて、翼も退化して、足だけ変に発達してしまった鳥。
それにわたしが似ているのだと。

「作家は、書かなければ生きていけない人たちだ。僕は彼らを心から尊敬している。そして、絶滅危惧種みたいな彼らを、守っていきたいと思っているんだ」
僕はひとつでも多くおもしろい小説が読みたいからね、と柳下さんは言った。



「僕はずっと、君に同じことしか言っていないと思うよ」

柳下さんは、常にわたしに言い聞かせる。
「君は“土門蘭”でいさえすれば、絶対に書ける」

有名だとか、話題だとか、斬新だとか、若さだとか、そういうところから遠いところにいるわたしに、その言葉だけを言い聞かせる。



31歳だったわたしは32歳になった。そしてもうすぐ33歳になり、33歳のわたしがまた小説を書くだろう。

そこに正解も不正解もない。
わたしはただ、わたしとして、書くだけだ。

小さくなった翼を肩に、空の下をひたすら走るだけ。
今日も明日も明後日も。