「心の半径」の話

柳下さんと、初めての小説の打ち合わせをしたのは、車の中でだった。

「いろいろ考えたんですが」
と、自宅まで迎えに来てくれた柳下さんは言った。
「ドライブしながら打ち合わせしませんか」

柳下さんの車はきれいな赤色だった。その赤色が、夜の京都を泳ぐように走る。
「打ち合わせの環境って大事ですよね」
と柳下さんは言う。
「土門さんと話すのは、目が合わない位置がいいと思ったんです。隣り合った席。どこかの店でカウンターに座るのも考えたんですが、話しているあいだに、何か動くものを見えるのがいいだろうなと思って」

それを聞いて、本当だ、とわたしは思う。
茶店で向き合って話すよりも、ずっと楽に話ができている気がした。

この日は緊張していたのだ、朝から。
初めてついてもらう編集者。初めて一緒に小説をつくる人。
誰かと小説をつくるだなんて、どうすればいいのか、そもそもそんなことができるのか、不安だった。

わたしはそれまでひとりで小説を書いてきた。とても個人的な内面の深いところを、汲み取るように文字にし、小説というかたちにしてきた。
これからは小説にする前の段階……人に見せる用意をしていない段階から、その部分を他人と共有することになる。そんな言語化されていない場所を、他人と共有するのはこわいことだ。何が出てくるのか、自分でもわからないのだから。
自分で望んだことではあるが、内心は怯えていた。

きっと柳下さんはそれをわかっていたんだろうと思う。
「最初の打ち合わせは大切だから」
と彼は何度も言った。
わたしが萎縮しないよう、緊張しないよう、怯えないよう、車は動きを止めないで滑らかに走り続ける。


途中でラーメンを食べた。大将だとか一番だとか、そういうラーメン屋さんらしい名前のラーメン屋さんだった。そこでも隣り合ってわたしたちはラーメンを食べた。卵が好きだと言うと、煮卵を分けてくれた。
食べ終わったときにはからだも温まり、単純なもので、なんだか明るい気持ちになっていた。

「書きたいものはありますか」
そう尋ねられたのは、車内に戻り、また走り、テイクアウトのコーヒーを買って、飲んでいるときだ。
わたしはずいぶんリラックスしていたように思う。柳下さんはきっと、そのときを見計らっていたのだろう。

「ファンタジーとしての従軍慰安婦を書きたいです」
とわたしは言った。
気負いなく、普通に言うことができたな、と思った。
だけど声に出して言うと、腕に鳥肌が立った。
ふわっと出てきたその言葉が、すごい勢いで前に道を作り始めたのを感じた。
柳下さんが、「いやあ」とつぶやく。
「それは、とてもいいですね」

柳下さんに聞かれる前に、自然と自分から、どうしてこの考えに至ったのかを話し始めた。自分の生い立ちについて、生まれ育った環境、関わった人々、考えてきたこと。
柳下さんはじっとそれを聞き、ときどきすっと長い針をさすように質問をした。痛くはあったが嫌ではなかった。「こんなことを聞かれたのは初めてだ」と思った。そして「こんなことを話すのはおろか、考えることだって初めてだ」と。

土足で踏み込まれているという感覚ではない。
あくまで自分が話したいから話している、という感覚。
徐々に自分のなかの畑のようなものが耕され、面積が広がっていくような感覚だった。


柳下さんは尋ねた。
「僕は土門さんとの距離をきちんと取れていますか? 近寄りすぎていませんか?」

わたしは答える。
「すごく距離が近いように思いますが、全然嫌ではないですよ」
それはつまり、距離をきちんと取れている、ということだった。
「でもそれが、すごく不思議です。柳下さんは空気をとても読むのに、距離を縮ませることができている気がする。それは両立するものですか」


そう言うと彼は「よかった」と言い、それから、心の半径の話をしてくれた。

「心の半径?」
エヴァンゲリオンでいう、ATフィールドみたいなものです。それを僕は心の半径と呼んでいるんだけど」

わたしは心をかこう球体を思い浮かべる。その皮膜より中に他人に入ってこられると、拒否反応が起こったり、自我が崩壊したりする、そんな球体。

「人の話を聞くのには、自分が近づくよりも、相手が自らこちらに近づけるようにしたほうが、お互いにハッピーな場合が多いんです」
「それはつまり、自分ではなく、相手が自分の心の半径を広げるように行動する、ということですか?」
「そうです」

柳下さんは、そのために必要な四つの要素をあげた。
「自分のフィジカル、自分のメンタル。相手のフィジカル、相手のメンタル」
「……自分と相手の、からだと心?」
「そう。それらの距離感をしっかりコントロールすることが大事です。そのためには、物理的な距離を調整することが大事だった。土門さんとはドライブをして、ラーメンをカウンターで食べることが必要でした」

なるほどなあ、とわたしはつぶやく。
緊張しているわたしが、柳下さんの目ではなく流れる風景を見られるように。
冷え性のわたしが、お腹からあったまりリラックスするように。
彼はわたしのフィジカルとメンタルを、微調整していたのだ。
わたしが、小説の話をできるように。自分の内面の奥深いところを、気負いなく話せるように。

「だから、何を聞かれても嫌じゃなかったんですね。つまり、自分で自分の心の半径を広げていたから」
「もし嫌じゃなかったのなら、そうです」
わたしは自分の心の半径を思う。車に乗る前よりもずっと広がり、柳下さんのほうへ伸びた自分の半径。

「でも、それにつけ込んじゃいけない。人の心は操れませんから」
自分も含めてね、と柳下さんは言った。


それから、わたしは小説を書き始めた。
改稿を重ね、完成が近づいてきているこの長編は、題名を『戦争と五人の女』という。

「情報は多いほうがいい」
と彼はよく言う。
「作家が本当に書きたいものを見出すのが、編集者の仕事だから」

自分のなかの見たくなかった醜い部分も、認めたくなかった汚い部分も、この一年半でたくさん見た。でも全部、書くために必要なことだった。そのなかにひとつ、小さな核みたいなものがあって、それが小説の種だった。

わたしは柳下さんに判断されない。ただわたしを全肯定する。
本当に書きたいものは何か、種はどこにあるのか、それだけに編集者としての彼は興味があるように思う。