ゴシップに向いていない人

ある朝起きてインターネットを開くと、蒼井優南海キャンディーズの山ちゃんが結婚したというニュースが目に飛び込んできた。
それを知ったわたしはとても驚いて、すぐに誰かとこの驚きを共有したくなった。こういうとき、自宅でひとりで仕事をしている身のさみしさを感じる。職場に行けば、「聞きました!?蒼井優と山ちゃんが!」「聞いたよー!すごいニュースだね!」と盛り上がれるのに。
わたしは誰かとこのニュースについて語り合いたいとうずうずして、メッセンジャーを開いた。まず目に飛び込んできたのは、直前までやりとりしていた柳下さんのアカウントである。だけどわたしは彼に連絡しなかった。代わりに、気のおけない友人に連絡をした。結果、チャット上で大変盛り上がり、わたしはすっかり満足をして、いつも通り仕事に取り掛かったのだった。

先日、車の中でこの話を柳下さんにしたとき、「ちょっと待って、どうして僕に連絡をくれなかったの!?」と彼はハンドルを握った姿勢でショックを受けていた。
「だって、柳下さんはゴシップに興味がないと思ったから」
と言うと、「そんなことないよ。大いにあるよ!」と言うので、「じゃあ柳下さんは、蒼井優と山ちゃんの結婚について、すごくびっくりした?」と聞いたら、彼はフロントガラスの先を睨んだまま「いや……びっくりは、しなかったな……」とつぶやいた。

ほらね、と言ったら、柳下さんはなぜかすごく焦った様子でこう続けた。
「だって、誰かが誰かを好きになって結婚相手に選ぶなんて、それがどんなふたりであれ十分ありえることでしょう? 蒼井優さんも山ちゃんさんも魅力的なふたりなんだから、ふたりが惹かれ合うのも僕には十分理解できるもの」

「そういうところだと思う」
と、わたしは言った。
「え? なになに? 僕のどういうところがそういうところなの?」
柳下さんはほとんど狼狽している。
「『蒼井優さん』『山ちゃんさん』って、柳下さんは誰にでも『さん』をつけるよね? そういうところがゴシップに向いていないところだと思う。だからわたしは、柳下さんに連絡をしなかったんだよ」
「え? どういうこと? 僕は確かに誰にでも『さん』づけするけど、それがどうしてゴシップに向いていないの?」
ああ、運転に集中できない、と柳下さんは嘆いた。
 

「わたしは蒼井優も山ちゃんも、別世界の人だと思っているのよ。ひとりの『個人』ではなく、『美人女優』と『コメディアン』という概念のような存在だと思っている。だから『さん』づけをしないで呼び捨てにするんだろうし、だからゴシップとして楽しむことができるんだと思う。だけど柳下さんは、ふたりをひとりの『個人』として捉えているでしょう?」
「そうだね。そしていつか、どこかでお会いしたり、一緒に仕事をするかもしれないと思っている。出版にまつわる仕事をしていたらその可能性は十分あるでしょう。だから、呼び捨てにはできないよね」
「そうそう。つまり、別世界の人だとは思っていないんだよね。芸能人だろうが誰だろうが、自分と関わりを持つ可能性のある人だと思っている。だけどゴシップっていうのは、自分と関わりを持たない人の私生活を覗き込んで楽しむものだから、柳下さんにはそれができない」

「そんな……」
と柳下さんは言った。
「自分がゴシップに向いていないなんて、考えたこともなかったよ……」
彼はその事実にショックを受けていたが、わたしも喋りながらショックを受けていた。ゴシップを楽しむ自分の思考回路を改めて言語化すると、なかなかにゲスく小物感がある。


それと同時に、ショックを受けている柳下さんの横で、わたしは大学時代にアルバイトをしていた書店の店長のことを思い出していた。
彼はわたしが出会った中で、3本の指に入る「こわい人」なのだが(そのうちひとりはもちろん柳下さんである)、同時に尊敬すべき人でもあった。わたしは彼に、「プロの書店員」とはどういうものなのかを初めて教わった。 

店長からはたくさんのことを学んだが、そのうちのひとつに、作家に対する態度というのがある。
店長はどの作家にたいしても、必ず『さん』づけをした。「江國さん」「角田さん」「リリーさん」「村上さん(「あ、春樹さん(あるいは「龍さん」)のほうね」と付け加えた)「羽海野さん」「井上さん」「尾田さん」というように。
最初聞いたときは、「え、誰のこと?」と思ったものだ。まるで、お客さんや取引先の方を呼ぶかのように作家を呼ぶ。他の社員さんはそんな呼び方はしなかったので、それは彼特有のものだった。わたしにはそれが、とても印象的だった。

「店長は、誰に対しても『さん』付けをするんですね」
ある日、店長にそう言ったことがある。すると店長はスリップを仕分けする手を止めて、「……そう言えば、そやな」と言った。
「作家さんは、大事な仕事仲間やから。呼び捨てにはできひんやろ」

店長にとって、本を出す作家はれっきとした対等な「仲間」なのだ。だからちゃんと敬称をつける。尊敬と感謝を込めて。それは、自分の仕事を尊重することでもある。
そういう態度は呼び方ひとつにも出るのだな、とわたしは学んだ。



そんな話を柳下さんにしたら、
「いい書店員さんだ」
とハンドルを握りながら言った。
「書店員としての矜持を感じるよね」
わたしも、店長を褒め称える。

「柳下さんも店長も、スターであろうがベストセラー作家であろうが、あらゆる人をいつか自分と関わりを持つかもしれないと思っている。だから敬称をつけるし、『個人』として扱うんだと思う」
「ということは、店長さんもゴシップに向いていないの?」
「うん、向いていない」
「なんだか君の話を聞いていたら、ゴシップに向いていないことがいいことなのか悪いことなのかわからなくなってきたな」

「いいことだよ!」
とわたしは力を込めて言った。

誰かを「違う世界の人」だと思い、そこを覗き見て無責任に騒ぐことは、自分の世界を規定し狭めることに似ている。逆に、誰もを「同じ世界の人」だと思い丁寧に扱うことは、自分の世界を広げることに似ている。

「だから、ゴシップには向いてなくていい。この話をして反省したよ。わたしも今度から全員『さん』付けで呼ぶことにする」

そう言うと柳下さんは笑って、「ゴシップで盛り上がるのも、楽しそうだけどなあ」と言った。