弱い自分のまま強くなる

わたしの精神状態には波があって、その波は不定期によく荒れる。
人間関係や、仕事の進捗具合によるもの。気圧、季節の変わり目や、単純に体調不良によるもの。
大小さまざまな要因により、わたしの精神状態は簡単に乱れる。

毎年、3月から4月は特にひどくて手に負えない。
わたしは四季がすべて苦手なのだけど(嫌いなわけではなく苦手なのだ)、特に春が苦手だ。
妙に浮き足立つ年度切り替え、おびただしく咲く桜の花、突然現れる虫たち、暖かくなり膨張するような空気、明るく薄くなる人々の装い。
その急な変化にどうも耐えられなくて、いつも暗澹とした気持ちになる。


このあいだ柳下さんから電話がかかってきて、
「また、君の苦手とする春が来たね」
と言われた。

それは気が塞いでしかたのない午後だった。
「そうだね」
と答えたわたしの声は、自分でもわかるほどに弱々しく、弱々しさを隠そうとしてもはや震えている。
何があったわけでもない。でも、生きていたら何かしらはどうしたってある。そのいろいろにいちいち傷つき、動揺する。そんな自分が情けないのだけど、変わることがずっとできないで、また今年も3月が来てしまったな、と思った。

「元気?」と聞かれ、「大丈夫」と答える。
「元気ではないんだね。かわいそうに」
柳下さんは心からの様子で言い、
「君と世界の間には常に小さな摩擦が生じていて、それが君を細かく傷つけているんだろうなあ」
と言った。そうかな、そうかも、とわたしは声がそれ以上震えないように気をつけながら答える。

「君は不安定な人だ」
柳下さんはそう言って、
「不安定なところで安定している、とも言えるね」
と言った。
「そして、だからこそ君は文章が書けるんだと思う。だって僕はずっと安定しているから、君みたいに文章が書けないもの」

どっしりと座りニコニコ笑っている彼の顔を想像しながら、
「確かに、柳下さんは安定しているよね」
とわたしは言った。
「そして、とてもポジティブだよね」

するといきなり、
「君は、僕が憎いかい?」
と、柳下さんが尋ねてきた。
想定外の質問に、えっ、とわたしは声をあげる。

「ポジティブで安定している僕を見て、『なんでこんなにポジティブなんだよ、このやろう』とか思うかい?」
わたしは思わず笑ってしまう。
「思わないよ。いいなあ、とは思うけど、このやろう、とは思わない」
「そうか。それはよかった」
柳下さんはそう言って、安定した声で笑った。



ずっと以前、柳下さんに「強くなりたい」と言ったことがある。
そのときもずいぶん気が塞いでいた。理由は覚えていない。なにかしらあったんだろうと思うけれど、大した理由ではないことは確かだ。
常々こんなに簡単に傷ついたり落ち込んだりする自分に嫌気が差していたし、それによりまわりに迷惑をかけるのもいやだった。だからわたしは「強くなりたい」とぼやくように言ったのだった。

それを聞いた柳下さんが、
「君の最大の武器は弱さでもある」
と言った。
「だから、強くなるための方向を間違えないようにしてね」と。

わたしは少し考え、「強くなるための方向?」と聞き返した。

「蟻が恐れて渡れない水たまりを、象は気づかずに踏み潰す。それが強さとか弱さってものだと思う。その意味での『強くなる』ことって変質だから、今の君ではなくなるよ」

わたしはその言葉を聞いて、水たまりの前で立ちすくむ自分を想像した。
大きな沼みたいな水たまり。
そこに象がやってきて、頭上を大きな足が通り越す。
そして、ずんと足音を立てて水たまりを踏んづけ進んでいく。まるでそこに水たまりがあることにも、ましてやそこで立ち往生している蟻がいるなんてことにも、ちっとも気がついていないみたいに。


確かに、蟻であるわたしが象になることはできない。
昆虫から哺乳類に変化するだなんてことは、偉大な進化ではなく不自然な変質だ。
わたしがわたし以外のものになるということも、もしかしたらそうなのかもしれない。

じゃあ、わたしの望む「強くあること」ってどういうことなんだろう?

少し考えて、こんな仮説を出した。
「この『弱いわたし』のままで走り続ける筋力をつけることが、わたしの望む『強くある』ということなのかな」

すると柳下さんは「そうかもね」と言った。
「そういうのが、プロの技術だと思う。作家っていうのは、『自分』っていう資質でものを作るから」



ときどきその話を思い出す。
わたしは蟻として、少しでも強くなっているんだろうか。よくわからない。だけど少なくとも、もう象になることは夢見なくなった気がする。「強い誰かになる」のではなく、「弱い自分のまま強くなる」ことを、努力するようになった気がする。

気分が塞いでも、不安定になっても、毎日キーボードに手を置くこと。
目の前の原稿用紙に、一文字でも文字を書くこと。
それがわたしにとっての「弱い自分のまま強くなる」ということだと思うから、わたしはそれをただ繰り返している。



「がんばるよ」
電話を切る前にそう言うと、
「君はもう十分がんばっているよ」
と柳下さんが言った。

「大丈夫。君が書いた小説が、いつか君をどこかへ連れていき、誰かに出会わせてくれる」

そして「じゃあまた。あとで君が笑顔になるような、おもしろ画像を送ってあげよう」と締めくくって、電話を切った。



「作家っていうのは、『自分』っていう資質でものを作る」

弱くたって、不安定だって、いい。
弱いわたしは弱いわたしのまま、毎日文字を書き続ける。

それがきっと、本当の意味での「強くなる」ということなのだろう。
そしてその結果わたしは、水たまりを超えて新しい世界へと歩みを進められるのかもしれない。

象ではなく、蟻として、水たまりの先へ。
そのとき蟻は、きっと「強い蟻」になっている。



約束通り、柳下さんからはすぐに「おもしろ画像」が届いた。
それを見て少し笑って、わたしはまた明日も書き続けるべく、夜早めにベッドに入った。