「黄金期」について

もうすぐ二冊の本が出る。

小説『戦争と五人の女』と、ルポルタージュ『経営者の孤独』という本だ。
夏には両方出ている予定だけど、あまり実感がわかない。まだ書かなくてはいけない原稿もあるし、道半ばを歩んでいる真っ最中だからかもしれない。締め切りが近いからかなんだか緊張していて、よく眠れない日々が続いている。

夏といえば、柳下さんと出会ったのも夏だった。あれは2016年だったので、まだ出会ってから3年も経っていないんだなと思う。柳下さんが編集についてから、わたしは小説を書き始め、会社を辞め、出版社を立ち上げ、家で文章を書くのが仕事になった。小説や短歌やインタビュー記事など、毎日たくさん文章を書いた。

この3年は、「書く」ということにピントが絞られ加速した期間だった。ここまで「書く」ことに集中できる時間は、生まれてこの方一度もなくて、わたしは最初の1年で5キロやせた。その体重はいまだ戻らないままだ。


朝起きて、子供を保育園に預ける。そのあと家に帰って、おもちゃを片付けたり掃除機をかけたりする。コーヒーを淹れ、原稿に向かう。それから夕方までひたすら書く。集中が切れたら本やインターネットの中を回遊しいろんな文章を読み、満足したら「がんばろう」とつぶやき、また原稿に向かう。ときどき取材や打ち合わせに出かける以外はほとんど人と話さず、家でひとり、テーブルの前から動かない。原稿ができたら柳下さんに送り、赤字を入れてもらい、また書き直し、校了する。

あまり変わり映えのない毎日だ。ときどき人と会わなすぎてさみしくなることもある。
だけど、こんな毎日以外にどんな毎日があるのか、今のわたしには想像もできない。


「こんな毎日以外にどんな毎日があるのか、今のわたしには想像もできない」
そう思ったのは今朝、自転車でクリーニング屋さんに冬服を取りに行っているときだった。

帰ったらあの原稿を読み直そう。これでいいと思ったら柳下さんに送ろう。返事を待っているあいだにプールに行って少し泳ごう。帰ってきたらご飯を食べて、また別の原稿に取り掛かろう。
1日のスケジュールを組み立てながら、「書く」時間がどれくらいとれるか算段する。

そのときふと、思い出した。
若いころは、いつも「書きたい」と思っていたことを。
あのころわたしは「こんな毎日」とは違う「別の毎日」を夢見ていた。「こんな自分」とは別の「本当の自分」がいて、早くそれになりたいと思っていた。


今ようやく、「こんな自分」と「本当の自分」が、ぴったりと合わさっているのだと思う。
そのことに気づいて、これはすごいことだと思った。素晴らしいことでもあるし、過酷なことでもある。なぜなら、「こんな自分」と「本当の自分」がぴったり一致していたら、ごまかしが一切効かない。二重だった輪郭は一重となり、裸で世界に飛び込むようなものだ。たくさんの傷がダイレクトにつく。

ああだから、すごく大変なんだなと思った。それはまあ、痩せもするだろうなと。
だけどわたしは、この一重の輪郭のままでいたい。傷ついてもいいし、泣いてもいい(良くはないけど、受け入れる)。
だからわたしは、このまま世界に直接触っていたい。



「君はもっと書くことに専念するべきだ。できる限り多くの文章を生み出すべきだ」

柳下さんは、出会ってから半年くらいのときにそう言った。
その言葉でわたしは、人生が変わったと思っている。
人生が変わる言葉っていうのは、本当に存在するのだ。その存在を知っているから、わたしはずっと文章を読み、書き続けている。

「こんなことを言うのはとても勇気のいることなんだ。なぜなら、ひとの人生を変えてしまうことだから」

柳下さんもそんな言葉の存在を知っている人だった。だけど、その言葉をきちんと発してくれた。そして人生の変わったわたしと、並走もしてくれた。「できる限り多くの文章」を生み出すために。


「黄金期」というのがあるとするなら、わたしのそれは今かもしれない。
成功したり、大金持ちになったり、有名になったりすることなんかじゃなく、「こんな自分」と「本当の自分」がぴったり合致するときのことを、きっと「黄金期」と呼ぶのだと思う。
あいまいだった二重の輪郭が重なり、分厚い一重になる。そのとき自分のなかに光のようなものが生まれる。わたしはその光を消さないように、毎日文章を書いている。きっとそのかすかな光が見えてるときが「黄金期」なんだろう。


だから、柳下さんには感謝している。
「土門蘭が土門蘭として文章を書くことがすべてなんだよ」
そうわたしに言い続けてくれたことを。

かすかな光が消えないように、今日も明日も書いていく。
道半ばでも、どの場所でも、わたしがわたしとして書き続けることができれば、それはわたしの「黄金期」だ。