栁下さんさようなら

 

土門蘭さま

はじめまして。いつもインタビュー記事や小説、読ませていただいています。突然すみません、私は『栁下さん死なないで』を書いてみないかと、生前栁下さんに言われたことがある者です。

その時は、私は土門さんにお会いしたこともないし、書ける気もしないし、戸惑いました。でもすぐその場で断るのは感じ悪いかなと思い、あとで断るつもりで「ちょっと考えさせてください」とお茶を濁しました。

まさかこんなに急に柳下さんに会えなくなってしまう日が来るとは思っていなかったので、まだ現実味も何もないのですが、びっくりした後に、悲しいとか寂しいという気持ちと一緒に、あ、あのオファーに返事してなかった、ということを思い出したので、書き上げられるかわかりませんが、書き始めてみました。何をどう書いたらいいのか、現時点ではノープランです。完成しなかったらごめんなさい。

 



 

なぜこの『栁下さん死なないで』の話題になったかというと、ある私が寄稿させていただいたリトルプレスを、かもめブックスさんと千葉の16の小さな専門書店さんが仕入れてくださったそうなんです。それを知ったときに、栁下さんにも読んでほしいなと思い、1冊差し上げました。すると数日後栁下さんが、「文章上手ですね」と褒めてくださったあとに、冒頭の書いてみないかという言葉を続けられたのです。(ちょっと話が逸れるのですが、栁下さんに褒められると、幼稚園や小学校低学年くらいのときに大人に褒められたような、「えっへん」と言いたいような気持ちになりません?ちょっと胸はりたくなるような。)

 

その時の気持ちは、正直言うと、ちょっと複雑でした。
理由はシンプルです。嫉妬ですね。

私は『栁下さん死なないで』を、読まないようにしてきました。小野民さんが寄稿された回があったかと思うのですが、その内容が私のような人間の心理をドンピシャに言い当てているように思います。私は編集者と作家の身近なところで仕事をした時期もあるので、そのある種特殊な関係性のこともある程度はわかっているつもりだったし、別に栁下さんの身近な人間でもなかったのですが、あんな風に気にかけてくれる他者がいる、自分のことを見てくれる他者がいる、という土門さんに、勝手に嫉妬してしまうので苦しくて、読まないほうが私の精神に良いだろう、と思ったのです。

私が一方的に、しかもお会いしたことはなく文章からだけ土門さんのことを知っている状態なので、こんなことを言われても困りはると思いますが、私は私と土門さんは似たところが多いんちゃうかな、と思っています。私も、気分の浮き沈みが激しくて、よく気持ちが落ち込むし、人や世界との距離の取り方や、物事の捉え方、なんというか、生きるのが結構大変な感じが、わかるわかる、私も私も!という感じでめちゃくちゃ共感出来るのです。生のたまねぎやにんにくを食べたら胃が痛くなるし。

だからでしょうか、土門さんが栁下さんにかけてもらっている言葉は、私自身が誰かから言われたいことなのです。土門さんは私が持っていないものを沢山持っている、それだけでも羨ましいのに、土門さんが書かれる栁下さんと土門さんの関係を読むと、さらに羨ましくなって、自分が何も出来ないダメなやつに思えて、嫌になるのです。私は作家でもライターでもないので、編集者についてもらう仕事をそもそもしてないですし、勝手ですよね。でもだから読まんようにしてました。

さらに、どこかのインタビューだったか定かではないのですが、「コンテンツを増やすだけ増やしてその更新を止めてしまうのは良くない」みたいなことを栁下さんが土門さんにおっしゃっていることを読んだ記憶があって、そんな人が始めたブログのルールを守るためになんで私が文章書かなあかんねん、と思ってしまったのです。栁下さんは土門さんの編集者で、いつも土門さんの文章を読みたがっていて、それだけで羨ましいのに、そんな人が自分で決めた締切を守れないが故の穴を、なんで私が埋めてちゃんと4のつく日に更新されるようにしてあげなあかんねん、と。

めちゃくちゃ性格悪いでしょう?私。そんな意図は栁下さんにも、ましてや土門さんには全くないのはわかるんですけどね。心が狭いんです、私。

 

あ、これあかんなあ。完成する気がしないし、ただ人を傷つけるだけになる気がする。ごめんなさい。

 

とはいえ、書くとしたら何書こう?と考えてはみたんですよ。
すぐにやっぱり無理、と諦めましたが。
だって、そのときまとめて過去の記事を読んでみたのですが、これまで寄稿されたもの読んだら、誰が次書けます?あんな小説や漫画を創作する能力、私にはありません。
(今、ちょっと我に返ったら、このブログを楽しみにしてはる人は、いつもよりおもんないなとがっかりしてるんちゃうか、と怖くなりました。ねえ?そこの読者の方、いつもとあまりにも違いすぎますよね?ごめんなさいね。たぶんもうちょっとやから。)

 

私が死なないでほしい、いや、死なんとってほしかった柳下さんに書けた原稿はたぶん一行、「お水をたくさん飲んでください」です。それしか思いつきませんでした。ビールとコーヒーを飲んでいた印象が強いからでしょうね。WEEKENDERS COFFEE All Rightはどちらも美味しいし。でも利尿作用あるでしょうどちらも。塩分多い食事も多そうやし、お水飲んで血液ちょっとでも薄めてほしいなと。
規則正しい生活を、とか、運動と食事に気をつけて、とか、長生きしてほしい人に言いたいことはいくらでもあるけれど、まあどう考えても忙しそうな日々に取り入れられそうにないし、(そもそもそんなん余計なお世話やし)、でももし何かひとつ、と言われたら、血管詰まらせんように、せめて水いっぱい飲んでほしいなと、その時思ったことを覚えています。

他の寄稿されている方みたいに、私にとっての栁下さんを切り取ってみたらいいのか?とも思ったのですが、想像してみたそれは至極パーソナルなものになってしまって、誰が興味あんねん、という自分のツッコミから逃れることが出来ず、それも書けないなあと思いました。

「僕のことを書いているようで、みんな自分のことを書いているだけだから大丈夫」と、書いてみないかと言ってくれたときに栁下さんが言ってくれたのですが、その視点で考えるのはもっとダメでした。私にはここで表現出来ることは何もないです。栁下さんにも土門さんにも関係ないことをひたすら書いてみようかなとも思ったのですが、完全にスベることしか想像出来なかったのでやめました。スベることを何よりも嫌がる、関西人の悪い癖です。

 

でもじゃあなんで、今になって、もう栁下さんに読んでもらえないのに、私はこうやってキーボードを叩いているのでしょうね。なんで書くはずのなかった文章を書いているのでしょうね。

たぶん、もっと話したかったのでしょうね、栁下さんと。もっと自分が考えていること、思ったことを、伝えたかったのに、それをしようとしなかったことを、こんなこと言ったらなんて思われるだろう、なんて勝手に先回りして心配して、結局言わないままにしてしまったことを、後悔しているからでしょうね。我慢したり抑えたりしてしまった気持ちが、行き場をなくしてしまっているからでしょうね。自分も人も、いつ死ぬかなんてわからないということを、知っているはずなのに、どうして後で後悔してしまうようなことを、繰り返してしまうのでしょうね人間は。

 


 

書け書け、あなたには才能があるから、という言葉を残してもらったあなたが、とても羨ましいです。本当に。だから、あなたにはその才能があるのだから、これからもどうか、言葉を紡ぎ続けてほしいと思います。それが出来るあなたが、本当に羨ましい。

だって、いい作品を読み続けたいと、栁下さんはいつも言っていたじゃないですか。あなたが素敵な文章を描き続けたら、もしかしたら、もしかしたら私たちまた、栁下さんに会えるかもしれないじゃないですか。いい作品を、楽しまずにいられる人ではなかったでしょう、栁下さんは。

 

 

 







 

 

 

知らんけど。
(ああまた関西人の悪い癖出てる)