「悩み」もどきと、柳下さん

わたしには常にいくつか悩み事があるのだけど、そのうちのひとつは「お腹が弱い」ということだ。生のたまねぎやにんにくなど香りの強いもの、とんかつやカルビなど脂の多いものを食べると一発でお腹を壊す。冷えた牛乳やコーヒーもアウト。どんなに暑い夏場でも、わたしは喫茶店で汗をかきかきホットドリンクを飲んでいる(でも不思議とビールは大丈夫)。

緊張すると腹痛、冷えると腹痛、慣れないものを食べると腹痛。だから、ものを食べるときいつも、「これを食べてお腹が痛くならないかどうか」で判断することになる。食べたいものが、イコールお腹が痛くならないものとは限らない。

いつからこんなに弱い胃腸になったのか。なんでもおいしそうにぱくぱく食べている柳下さんを見ていると、つい「いいなあ」という言葉が出てくる。「なんでも食べられて、楽しそうでいいなあ」と。

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柳下さんは、食べることが大好きだ。嫌いなものもなく、たくさんの量を食べることができる。だからお気に入りのお店もたくさんあるし、連れていってくれるお店はどこもとてもおいしい。

柳下さんが「これおいしいよ! 一緒に食べに行こうよ!」と薦めてくれているのに、わたしの胃腸の弱さが原因でいまだ果たせていない食べ物がいくつかある。とんきのトンカツ、梁山泊の肉あんかけチャーハン、名前は忘れたけどこのあいだ一緒に入ったカレー屋さんのマトンカレー。台湾に一緒に行ったときには、屋台で売っていたタピオカミルクティーも飲めなかった(柳下さんはおいしそうに4杯飲んでいた)。

気持ちは食べたいし、飲みたいのだ。でもお腹がついていかない。食べる喜びよりも、お腹が痛くなるのではないかという不安のほうが大きくなってしまうわたしには、食べたいものを何の心配もなくのびのび食べられるというのは、とても羨ましいことなのである。

柳下さんはそんなわたしのことを「かわいそうに」と言う。
「かわいそうに」と同情されることはやぶさかではない。だって本当にかわいそうだから。だけど、柳下さんはそこにわたしがい続けることをよしとしない。わたしを「かわいそう」な状態から連れ出そうとする。
「よし、君の弱いお腹について、腰を据えて話し合おうじゃないか」
と言って。

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先日、わたしがものすごく滅入っていたことがあった(わたしは意味もなく滅入ることがたびたびある)。柳下さんがその雰囲気を察して、すぐに電話をかけてくれてこう言った。
「君にとってのひとつの厄介ごとである、『弱いお腹』問題をここできれいに解決しようじゃないか」

多分、彼はわたしを励ましてくれようとしたのだと思う。わたしの気分の低迷にはあらゆる要素が絡みついているので(気圧、季節、体調、人間関係、etcetc)、そのうち解決できる問題はできるだけ解決しようとしてくれたんだろう。

まったく元気のなかったわたしは、iPhoneを耳に当ててうなだれながら続きを待った。

彼が言うにはこうだった。
「まず、解決すべき事項の優先順位を決めよう。君のお腹が弱いことで起こる、もっとも厄介な問題ごとは何だろう? おいしいものが食べられないことだろうか? それともお腹が痛いということだろうか?」

「……お腹が痛くなってトイレに行かないといけなくなること、かな……。誰かと話していても、上の空になってしまって集中できなくなるでしょう?」

わたしは覇気のない声で返す。すると柳下さんは「ふむふむ。なるほど。理解した」と言い、「じゃあここで僕からひとつ提案があるんだけど」と続けた。

「オムツをしてみるというのはどうだろう?」
「オムツをしてみる?」

思わず同じ言葉を繰り返す。意味はわかるが、内容がなかなか入ってこない。

「そう、オムツ。もちろん大人用のオムツだよ。おや? 君の気持ちはいま、僕から離れていこうとしているね? まあ落ち着いて。ここはひとつ、僕の話を聞いてほしい」

柳下さんはそう言って、「あのね」と切り出した。

「あのね、僕は娘がまだ幼いときに、彼女がしているオムツがどういうものなのかを試してみたことがあるんだ。それで大人用のオムツを試してみたんだけど、あれはすごくよくできているということがわかってね……」

その後、柳下さんはオムツを使用した感想を淀みなく喋ってくれた。使用感もいいし、においもそんなに気にならない。だから君がオムツを履くのは「あり」だと思うと。

「というわけで、君もオムツを履けば、いつお腹が痛くなろうとトイレに行かなくてすむんだよ。どう? これでひとつ問題が解決したでしょう?」

わたしはすぐさま「それはできない」と答えた。それはできない。すると柳下さんは「どうして?」と、心底不思議そうな声で言う。
「どうしても。どうしてもできないから」
ロジックでは勝てないことがわかっているので、わたしは意地ではねつけた。柳下さんは「そうか……」とつぶやき、「どうしてもできないなら、しかたない」と引き下がってくれた。わたしは少しほっとする。

「じゃあ、もうひとつの問題である『痛み』はどうだろう。こちらは解決できるんじゃないかな? たとえば胃腸薬や痛み止め。ロキソニンバファリン正露丸なんかで」

オムツに比べれば断然受け入れやすい提案だったので、「そうだね」とそちらにはあっさり同意した。「確かに、薬を持ち歩けばかなり厄介ごとは減るかもしれないね」

柳下さんは「じゃあ決まりだね」と、明るい声で言った。
「よかったよ、君の厄介ごとがひとつ減って。これで君も、おいしいものを気兼ねなく食べられるね」
と、ほっとしたように。

「今度君におしゃれなピルケースをプレゼントしよう」
そう言って、柳下さんは電話を切った。

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ずっと前に、彼にある連載でインタビューしたことがある。
わたしは「柳下さんは、悩むことはありますか?」という質問をした。
すると彼は「悩みって、判断を保留している状態のような気がするんです。だからそもそも悩まない。悩まないようにしたい」というような返答をしてくれた。

「悩んでる状態って、パフォーマンスを下げる気がするんですよ。
でね、悩みって何かって考えると、『自分の力でどうにもできない』っていうファクトが大きいんじゃないかと思うんですよね。自分以外に要素が絡むこと」
(引用元:https://bamp.is/interview/kodoku01.html


電話を切ったあと、わたしはその言葉を思い出していた。
彼にとって「自分の力でどうにもできない」こと以外は、「悩み」ではない。
あの言葉を聞いたとき、強い人だなあ、と思った。それって、言い訳ができない状態にするってことじゃないか、と。

だけど、だからこそ柳下さんはいつもパフォーマンスが全開なのだと思う。
自分にのしかかる「悩み」もどきを力づくで解決していって、「悩み」じゃなくしてしまう。彼を見ていると、確かに悩んでいる暇はないなと思う。人生短いのに、何を「悩み」もどきに惑わされているのだろうと。

そんなことを思っていたら、なんだか滅入っているのがばからしくなった。それで、無理やり身体を動かして近所のジムに出かけることにした。ジョギングをしていると、気分の滅入りが、汗と一緒に流れていくようだった。ああ、これも解決できる類のものだったのか。ひとつ言い訳ができなくなったなと、ちょっと思う。でもそれは、ひとつ強くなった、ということなのかもしれない。「悩み」もどきをやっつける、惑わされない強さ。


いつか、とんきのとんかつを食べに行きたい。おしゃれなピルケースを携えて。
それが今の楽しみだ。