虚と実の話

初めて柳下さんと喫茶店で話したときだと思う。
そのとき彼は「虚と実の話」をした。

バンドマンが就職をすることについて、話をしたときだ。
バンドマンは正社員として安定した就職をすべきか、それとも、時間に融通のきくフリーターとして働くべきか。

柳下さんは「ぼくはどっちでもいいと思います」と言った(そのときはまだ敬語だった)。
「問題は、虚と実のバランスを見失っていないかどうかなんですよね」
わたしは「虚と実?」と聞く。
柳下さんはうなずいて
「虚だけじゃもちろんだめだし、実だけでも案外だめなんです」
と言った。
「その両方をいい感じにいったりきたりするのがいい」

 

たとえばバンドマンにとっては音楽を奏でることが「実」だろう。
そして「実」をかこう「実」以外のこと(ここでは就職とか、バイトとか、あるいは人脈づくりだったり、営業だったり)が「虚」だ。


「「虚」だけではもちろんだめだし、「実」だけでも案外だめなんですよね」
たとえば柳下さんにとっては「実」が自分の本業(経営とか校閲とか)になる。「虚」はラジオ出演とかインタビューとか、友達との飲み会とか。
「「虚」も楽しいし必要なんです。でも、それだけだと本末転倒なんですよね。「実」があっての「虚」だから」

わたしはその言葉をずっと覚えていて、よく「今やってることはどっちかな」と考えるようになった。 

そうして気づくのが、油断していると「実」の割合が簡単に少なくなるということだ。一番大事なことなのに。これはとても不思議なことである。
なぜだろうと考えて、「虚」には他人が絡むからかもしれないなと思った。相対的なものは、なんだって強い力を持つ。時間、お金、関係性。それは「実」を支えていたはずなのに、油断していると簡単に「実」を食い尽くす。

「女性が小説を書くのには、お金と自分ひとりの部屋が必要なんだよ」
柳下さんは、ヴァージニア・ウルフの言葉を引用し、繰り返しわたしにそう説く。「実」に必要なのはひとりであること、絶対価値であることだと。だからそのために、「お金」と「自分ひとりの部屋」が必要なのだと。

わたしはこう解釈する。「実」はひとり。「虚」は関係性。
「実」があってはじめて「虚」がある。ひとりであって初めて、ふたりになれるように。

そのことを忘れてはいけないと思う。