続・友達についての話

柳下さんと出会ってから「友達っていいもんだな」と思うようになった。
それまではそんなふうにはあまり思わなかった。
わたしは友達が少ないからと言って、やっかんでいたのかもしれない。
わたしの友達はもちろん好きだ、でも、「友達」という語感が何かキラキラとわたしの手の届かない場所にある言葉のような気がして、なんだかあまり好きになれなかった。

 

「友達っていいもんだな」と思うようになったのは、彼がよく自分の友達を「君にも紹介したいな」と言うことに気づいたからだ。
「すごくイケているやつなんだ」と彼は言う。
わたしはそれを言われると嬉しい気持ちになる。すごくイケてるやつを紹介してくれるってことは、そのひとにわたしも紹介してくれようとしているということだから。

 

柳下さんはよく友達の写真をSNSにあげる。
わたしはそれを見るのが好きだ。みんな、とても良い顔で笑っている。そして、見事にみんな「イケている」。
「柳下さんの友達はみんなかっこいいね」
そう言うと彼は嬉しそうに笑って「僕の友達はみんなかっこいいんだ」と言った。

 

それを聞いて、自分の数少ない友達のことを考える。
そして「わたしもそうだな」と思った。わたしの友達も、みんなかっこいい。
かっこいいから、わたしは彼らに惹かれて友達になったのだった。

 

高校のとき、友達を「つくる」ことを初めてした。
友達に「なる」のが苦手なわたしはいつもクラスで浮いていてそれが悩みで、じゃあ「つくる」ことならできるのではないかと思ったのだ。
それで、この学校でだれが魅力的だろう、だれと話してみたいだろうと考えた。頭に浮かんだのは、同じクラスのSちゃんという子だった。
違うグループに属していて、もともと友達と呼べる仲ではあったけれど、改めて友達になりたいと思った。そして、初めて「飲みに誘う」ということをした。
彼女とは、今でも連絡を取り合っていて、今でもたまに飲みに行く。
彼女は今でも「かっこいい」と思う友達だ。

 

柳下さんは、
「僕はかっこいいやつとしか友達にならないんだ」
と言う。
「だから友達にはかっこよくいてもらわないと困るし、僕自身もかっこよくいないとね」
 

今年の初めごろだろうか。〆切に追われて友達からの誘いを断りまくっていて、なんだか不安になった。このままだと友達がいなくなって、寂しい老後を過ごすのではないだろうかとふと思ったのだ。〆切に追われるとわたしは途端に心細くなるので、これは今思えば逃避だと思う。
柳下さんはきっとそんなのお見通しだったんだろう。わたしが「友達との時間も大事にしようと思ってる」と話すと、こう言った。

「犀の角のようにただ独り歩め」
なあにそれ、と言うと、「ブッダの言葉だよ」と言う。

「その先の領域でしか会えない友達がいる。それが本当の友達じゃないかな」

犀の角のようにただ独り歩むこと、それが「かっこいい」ってことなのかもしれない。
そしてその先にしか、きっと本当の友達はいない。