柳下さんの教育方針の話

柳下さんには娘さんがいて、その子はわたしの長男と同い年だ。6歳。この春にふたりとも小学生になった。まだふたりは会ったことがない。わたしも、彼女には一度(それも数秒)しか会ったことがない。

教育方針というのは人それぞれにあるものだと思うけれど、子供にこれだけは身につけさせたいものというのは、その親自身にとってとても大事なものだと思う。なので、「子供にこれだけは身につけさせたいものは何?」という質問をすると、親であるその人の本質みたいなものが見えておもしろい。

わたしは息子に
・挨拶をすること
・気持ちを言葉にするように努力すること
のふたつを徹底して要求している。

挨拶は割と簡単で、「おはよう」とか「いただきます」とか、覚えれば誰でもできるし考えなくてもできる。それでいて、人に不要な敵意を抱かせないし、好意すら持ってもらえる機会になる。これは絶対に身につけなくてはいけないものだと思う。

ふたつめはとても難しい。まず語彙がいる。そして「気持ちを言葉に変換する」のには正解がないので探し続けなくてはいけない。どちらも努力の継続が必要なことだ。ただだからこそ、うまくいかなくてもいい。「言葉にするように努力する」ことはつまり「理解しようとする」こと、「理解してもらおうとする」ことだから。そのふたつがあれば、きっとどこでもやっていける。閉じこもらないで、世界とのつながりを見出していける。きっと。


さてでは柳下さんはどうだろうと思い聞いてみると、柳下さんは
・舞台度胸をつける
ことだと言った。

柳下さんの娘さんは日本舞踊やバイオリンを習っている。大勢の前で発表をする機会もあるらしい。

「人前で上手に発表するのが大事なんじゃないんだ。いつものパフォーマンスをどんな場所でも出すことができるというのが大事なんだよ」

柳下さんと1年強一緒にいて感じたのは、柳下さんはパフォーマンスを落とされることをとても嫌がるということだ。彼はストレスに強いけれど、それはパフォーマンスを落とさないために身につけた精神力・体力の賜物で、それでもパフォーマンスを落とされるときには(たとえば自分にはどうしようもできない状況とか)強いストレスを感じるようだ。

校閲者・編集者である柳下さんは、ふたつの目を持っている。情熱の目と冷静の目というのだろうか。目の前の文章に「おもしろい!!」と熱狂していると、冷静に文章を読めなくなって仕事にならない。だから、常にもうひとつ冷静の目を持っている。

つまり呑まれないということ。流されないということ。足をすくわれたら自分で歩けなくなってしまうから。
彼は自分の行きたい場所へ行くために、自分の足で歩いている。そしてそんなふうに、遠くまでペースを落とさずに歩くには、体力と精神力、そして訓練と実践がいる。


娘さんは柳下さんに目がとても似ている。
どんな女の子になるのだろう?
大人になった彼女にいつか会ってみたい。