幸福の宿る場所

この間柳下さんとレストランに行った。
レストランというのに行くことがあまりないので、ドレスコードがよくわからなくて、とりあえずシャツと黒い革靴を履いて行くことにしたのだけど、待ち合わせ場所である喫茶店にいた柳下さんは、果たして白いTシャツにジーンズ姿であった。しかも、Tシャツの胸元にはでかでかと「ロボ」と書かれている。その上、バッグはIKEAの大きな青いショッピングバッグだった。

いつもは柳下さんは赤いリュックを背負っている。大きなリュックサックで、そこにPCやカメラを入れている。それが今日に限ってなぜIKEAなのだろうと疑問に思い、
「何でIKEAなの? 大きなカバンがなかったの?」
と、挨拶もそこそこに質問をした。

「だって、この格好には青いバッグでしょう?」
柳下さんはさも当然だというように言う。
「でも青いバッグがIKEAしかなくてさ。それでこれで来たんだ」

レストランは鹿ケ谷の桜のきれいな場所にあり、スタッフのみなさんもおしゃれでとても決まっている。それでもなぜなのだろう、柳下さんはその場で絶対に浮かないのだ。IKEAのバッグを持っていても、胸元に「ロボ」と書かれていても、彼は完璧に紳士なのである。柳下さんはレストランにつくまでもついてからもわたしをエスコートし、おいしいお料理の数々に舌鼓を打ち、にこやかに初対面の方々と談笑し、お酒の味を楽しんだ。
それだけではない、最後の最後に見送りに出てくれた焙煎家の方が、
「そのTシャツ、すごくいいですね」
と言ったのだ。柳下さんは大きなIKEAのバッグからもう一枚の「ロボ」Tシャツを出し、焙煎家の方にプレゼントをした。
完璧だ、とわたしは思った。


以前、台湾のブックフェアで彼が取材を受けているのを、横で聞いていたことがある。
「柳下さんは、なぜずっと本や出版に関わり続けるのですか?」
という質問内容だった。わたしはライター目線で彼の答えを待つ。出版文化の素晴らしさ、その継承の必要性、社会的意義などを話すのだろうか。
そう思っていたら彼はひとこと、
「僕はおもしろい本を読むのが大好きだからです」
と言った。

わたしはそれを聞き、思わず笑ってしまいそうになった。
台湾のライターさんもわたしと同じような答えの予想をしていたのだろう、肩透かしをくらったような、ぽかんとしたような顔を一瞬した。

自分は柳下さんのこういうところを信用しているんだよな、と思う。
いつも、どこでも、「自分が主語」であるというところ。



柳下さんは絶対価値を基準にして動いている。
誰にどう思われるとか、世間がこうだとか、そういった相対価値が彼の決断に影響を及ぼすことはない。もしあったとしても、それは「誰にこう思われたい/思われたくない」と「自分が思っている」のだと、やはり絶対価値に落とし込んでの結果だと思う。

「幸せは絶対価値にしか宿らないよ」
と柳下さんは言う。
「幸福という概念自体、きわめてパーソナルな絶対価値なんだから」


本をつくるときも、彼はこのように言う。
「これは、誰がつくりたいんだろう?」

多分、彼はずっと自分にこんなふうに問い続けているのだろうな。
その問いの先にしか、幸福は宿らないから。