最大の〆切、そしてメメントモリ

最近また柳下さんが忙しそうだ。寝ていないのだろうなと思う。
「からだ大丈夫?」
と昨日電話で聞いたら、
「君はいつも僕の体調を心配してくれているね」
と笑っていた。

わたしはときどき、柳下さんが死ぬときのことを想像する。
誰から連絡が来るだろうか。もしかしたらSNSで知ることになるかもしれない。それとも、柳下さん自身から連絡が来るだろうか? 虫の知らせというやつも、あるかもしれない。そのときわたしは、どんなことを思うだろう。
いつか必ず来る日のことだ。考えておいたほうがいい。


柳下さんと出会ってから、よく死を意識するようになった。
「〆切はすべてのクリエイティブの母だ」
というのは彼の口癖だけれど、一度彼にこんなことを言われたことがある。

「どうして僕がこんなに口すっぱく言うかわかる?」
「うん、わたしがちゃんと〆切を切る癖をつけられるようにでしょう?」
「それもあるけど、もっと大事なことがある」

わたしがぽかんとしていると、柳下さんはこう言った。
「最後で最大の〆切は死だ。しかも、それはいきなり訪れる。だから僕は、とにかく書けって言っているんだよ」


柳下さんには「死ぬまでにしたい100のリスト」があって、このあいだそのうちのひとつである「giraffeのモデルになる」ことが実現した。giraffeというネクタイブランドを、わたしはそのとき初めて知った。柳下さんはgiraffeの愛用者らしい。
「いいね、それ」
とわたしは言って、真似っこして作ってみようとした。まだ100には到底届かないけれど、そのうちのひとつに「チタチタ喫茶のチョコレートパフェを食べる」というのを入れていた。

このあいだ、そのチョコレートパフェを食べるチャンスがあった。だけどそのときわたしはすでにチョコレートを食べたあとで、口の中がチョコチョコしていてチョコレートパフェを食べるコンディションではなかったのだ。
それで
「パフェはまた今度にしようかな」
と言った。すると柳下さんが
「君はそんな軽い気持ちで死ぬまでにしたいリストに入れたのか」
と言った。真顔で。

あのときの衝撃はずっと忘れられなくて、今でも思い出すたびにふふっと笑ってしまう。そして、わたしは死を思う。


つまりそういうことなのだ。
彼は、常に「死」という〆切を意識している。

それは手帳のどこにも書かれていない。なぜならいつ来るかわからないから。突然、明日のマスに文字が浮かび上がるかもしれない。それでも、わたしたちはその文字を前もって見ることはおそらくできないだろう。

柳下さんは言った。
「100のリストを実行できるチャンスがあれば、それがどんな時であれ実行しなくちゃいけない。そのチャンスを見逃す君は、リストに書かれたことを何もなしえないまま死んでいくのさ」

わかったよー、と言ってわたしはチョコレートパフェを食べる。

「そしてね」
同じくチョコレートパフェを頬張る柳下さんは続ける。
「もうひとつ大事なのは、100のリストの項目をひとつ消せば、新しい項目がまた書き込めるってことなんだよ」


柳下さんは命を燃やすように生きている。
きっとその燃料はこのリストの項目なのだろう。燃やせば燃やすほど命は輝き、また新しい燃料を必要とする。蒔をくべるように、空いた部分にまた項目を書き入れる。
いつか最後の〆切が来るまで。


「時々、わたしの頭の中で柳下さんの声が聞こえるよ」
とわたしは言った。
「たとえば『〆切はすべてのクリエイティブの母だ』とかね。よく聞こえるもん、頭のなかで。こういうの、アフォリズムっていうのかな」

すると柳下さんは言った。
「種があとから発芽するように、言葉を発していたいよね」


それならば、柳下さんが植えた種は、わたしの中に「死」を発芽させたのだろう。
その芽が古びないよう、育てていくのはわたしだけれど。