「自分会議室」と「自分現場」。あるいは「鳥の目」と「人の目」。

ついこのあいだ、飲み会でこんな会話を耳にした。すぐ隣にいるふたりは『闇金ウシジマくん』という、闇金業者の社長が主人公の漫画について話していた。

ひとりの男性は言う。「僕はあの漫画を読むと、自分はここまで落ちぶれていないなって安心するんです」
それに対して、もうひとりの男性はこう言った。「いや、ここまで落ちぶれていないって安心するのはどうなんだろう。僕はあの漫画を読むと、こういう人たちって意外と自分のすぐそばにいるんだろうなって思うから」

わたしはその話を横でひそかに聞きながら、ふたりの視点が微妙に異なっていることに興味を覚えた。前者の男性は、ウシジマくんに出てくる債務者を「自分」だと思い、後者の男性は「身近な他人」だと思っている。その違いがおもしろく、自分もいざ話題に入ろうとしたが、ちょうどおいしそうな中華料理が届き話題は霧散、叶わなかった。


かくいうわたしも『闇金ウシジマくん』のファンである。ときどき読み返しては、債務者の悲惨な末路に胸を痛め、真面目に生きていかねばと心を新たにしている。
わたしの場合は前者の男性の感覚に近い。ウシジマくんに「奴隷くん」と呼ばれている債務者には女性も多く描かれており、「もしかしたら自分もこうなるかもしれない」ということをよく思う。パチンコにはまる主婦、仲間はずれになるのがいやで無理してブランド物を買うOL、家出して帰るところのない女の子。彼女たちと自分の、一体どこが違うというのか。わたしは作品を読むことで、彼女たちの人生を「私の人生(仮)」と見なし追体験している。

そして読みながら、「ああ、分不相応なものに手を出してはいけないよ」とか「パチンコ屋に行く暇がないくらい仕事しようよ」とか、心の中でやいのやいの言っている。
その「やいのやいの」は、自分のリアルじゃないから言えるのだ。紙の上に描かれた「人生」を、安全な場所で見ているからこそ言える。
そしてその「やいのやいの」は、作品を読み終わったわたしの人生に反映される。分不相応なものを買わないよう、パチンコ屋にも行かないよう、真面目に生きようとする。それはいわゆる「教訓」というもののひとつなのだろう。


ということを柳下さんに話したら、彼は「『自分会議室』と『自分現場』だね」と言った。

「『事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ』っていう有名なセリフがあるよね。本当にその通り。現場で起きていることに会議室がとやかく言っても、そうは言ってもさ、ってときあるじゃない?」

確かにね、とわたしは答える。多分わたしは「自分会議室」の力が弱すぎるのだろう。すぐに「自分現場」で手一杯になり、理性を失って冷静な判断ができなくなってしまう。だから、作品を読んで追体験することで、「自分現場」のシミュレーションをしているのかもしれない。「自分現場」を俯瞰するトレーニングを重ねて、「自分会議室」の力を強めるために。柳下さんはそれを「自我の客観視だね」と言った。


柳下さんは、この「自我の客観視」に長けている人だと思う。「自分会議室」と「自分現場」がほぼ一体になっている感じがする。たとえるなら、現場に最高責任者がいる感じだ。そこで頭を動かすのも、体を動かすのも、全部柳下さん。会議室が脳にある状態で、現場に立っている。そんな感じ。

わたしに関して言えば、会議室と現場は完全に分かれている。会議室で考えたことを現場で行い、現場で行ったことを会議室で考える。だからよく現場でパニックに陥るし、会議室で反省ばっかりになったりする。現場と会議室を同時に動かしながら「自我を客観視する」ということがなかなかできない。


柳下さんがそれをできるのは、彼が校閲者であることが大きいように思う。
いつだったか彼はこんなことを言っていた。

「『この小説おもしれー!』って思いながら夢中で読んでいたら、校閲なんてできないでしょう? かと言って、文字だけを追って内容を理解しなければ、文脈を汲み取った校閲なんてできない」

そして、頭の上のほうを指さしこう言った。
「だからいつも、ここにもうひとつの目がある感じだよ」
わたしは柳下さんのもじゃもじゃの髪の毛の上にある、もう一対の目を想像する。

「『あ、今おもしろいって思っているな』って、自分を少し上から見ている。『鳥の目』みたいな感じだよ」

多分その「鳥の目」が、常に彼の頭の上をほわほわ飛んでいるんだろうなと思う。その「鳥の目」こそが、彼の「自分会議室」なのではないか。


わたしには「鳥の目」がない。この顔に存在している、一対の目しかない。すぐに眩み、すぐにかすれ、すぐに泳ぐ、不安定な「人の目」だ。

「わたしも『鳥の目』が欲しいな」と言ったら、柳下さんに「君には必要ないよ」と言われた。
校閲者と小説家では使う目が違うんだから、君はそのままでいい。客観視できないから、小説にしているんだろう?」

それを聞き、じゃあわたしはこの「人の目」でやっていくしかないのだなと思った。すぐに眩みかすれ泳ぐこの「人の目」を、ひたすら磨き続けていくしかない。


そう思うと、『闇金ウシジマくん』を読むことで、わたしは「自分会議室」の力を強められているんだろうか?とふと不安になった。もしかしたら、全然そんなことないのかもしれない。ただ『ウシジマくん』に出てくる彼女たちの目を内面化しているだけかもしれない。それはそれで、「人の目(現場)」が豊かになるということで、いいことなのかな。

そして冒頭のふたりのことを考える。
「僕はあの漫画を読むと、自分はここまで落ちぶれていないなって安心するんです」と言った男性は「自分現場」の強い人で、
「僕はあの漫画を読むと、こういう人たちって意外と自分のすぐそばにいるんだろうなって思うから」と言った男性は「自分会議室」の強い人なのかもしれない。



柳下さんはどんな気持ちで『闇金ウシジマくん』を読むんだろう?
今度聞いてみようと思う。

箸の持ち方が正しくない

柳下さんは食べ方がきれいだ。ナイフとフォークを華麗に使いこなして、すいすい野菜や肉を適当な大きさに切り、おいしそうに頬張る。

「食べ方がきれいだね」
台湾に出張に行ったときだったろうか、朝ごはんのバイキングを食べているときに思わずそう言った。わたしと同じナイフとフォークを使っているとは思えない。柳下さんのだけ異常に切れ味が良いのではないかしら?と思うくらい、ウインナーやらトマトやらグリーンリーフやらオムレツやらを、滑らかに切り取り口に運んでいく。
わたしが感嘆しながらそう言うと、柳下さんは目を丸くして「そうかな? ありがとう」と言った。


対して、わたしは食べることが苦手だ。
食べることは好きだけれど、その姿を誰かに見られるのがあまり得意じゃない。ナイフやフォークはもちろん、箸の使い方だって下手だし、見られていると思うと緊張してしまう。気にしすぎだとはわかっているのだけど、自然と食欲がなくなる。

お皿の上のパンをちぎりながら、そんなことを話した。
「そんなに気になるのなら、マナー教室にでも通ったらいいよね」
自分の言葉に自分で先回りしてそう言うと、柳下さんは、
「マナーなんて気にしなくていいよ。要はおいしいものをおいしく食べることができたらそれでいいんだから」
と言った。
そして「だけど、どうしてそんなふうに思うようになったの? 誰かに何か言われたことがあるの?」と聞いてきたのだった。


そう言われて思い出したのは、高校生のときのことだ。
母は地元でスナックをやっていて、わたしはよくそこに呼び出された。呼び出されるのは大抵お客さんがお寿司とかお好み焼きを買ってきてくれたときで、図書館で勉強をしていると、「晩御飯があるから来なさい」と電話がかかってくる。
ある夜もそんなふうに呼び出された。お寿司を買ってきてくれたというお客さんにお礼を言って、がらがらのお店の中、ビールを飲んでいる彼の前で箸を持った。
するとお客さんは「あんた、箸の持ち方がおかしなねえ」と言ったのだった。

わたしは昔から、箸の持ち方が正しくない。人差し指と中指で持つところを、中指と薬指で持っている。鉛筆も同じ持ち方で、通常なら中指にあるペンだこが、わたしの場合は薬指にある。
「そうなんです、癖で」と曖昧に笑いながら返事をすると、お客さんは「そんなら鉛筆もそうじゃろう」と言った。「直さんにゃいけんわ、みっともない」と。
それから、
「まあお母さんが韓国人じゃけんね。作法もよう教えられんのじゃろう」
と言って笑った。

そのとき、全身の毛が逆立ちそうになるほど腹が立った。母を見るとお客さんに愛想笑いをしながら、必死にわたしをなだめようと小さく首を振っている。「怒るな」と言うのだ。母はこんなことを言われることに、わたしよりもずっと慣れていた。

わたしはお箸を持ったまま、「頑張って直します」と言って笑った。
それからそのお客さんが買ってくれた特上のお寿司を食べながら、「一生この箸の持ち方は変えない」と誓った。鉛筆の持ち方だって絶対変えない。この持ち方のままおいしいものを食べて、良い文章を書いて、いつか立派な大人になって、この人を見返してやる。

そのとき感じたのは、教養というのは「何を知っているか」ではなく、「どう振る舞うか」だ、ということだった。だからわたしは意地になった。「知っている」だけの人に負けてなるものか、わたしは「振る舞」い続けるのだと。
ただ、あのときのお客さんの言葉は小さな棘のようになっていて、今でも自分の中に残っている。


そんなことを話すと、柳下さんは眉根を寄せて「ひどいことを言う人だな」と言った。「かわいそうに、ずっと傷ついていたんだね」
そう言われて、自分は傷ついていたんだな、と思った。確かにそうだ。わたしは自分のことよりも、母のことを馬鹿にされて傷ついていた。あのとき怒ってやればよかった。もう二度と来るなと言ってやればよかったのだ。
だけどわたしも母も、何も言わなかった。お寿司ごと一緒にその棘を呑み込んで笑った。こんなもの平気だという顔で、穏やかに振る舞うほうがえらいのだと思いながら。
柳下さんは眉根を寄せたまま、「だけどそのお客さんは、『知っている』人ですらないよね。韓国でもお箸の持ち方は一緒なはずなんだから。作法も教えられない、というのは間違っている」とぶつぶつ言った。


それから朝食を食べ終わると、柳下さんはコーヒーを脇にやってカメラを取り出した。そして液晶画面をわたしに見せて、
「ほら、これを見て」
と言った。

その写真は、わたしの手の写真だった。ペンを持って、自分の本を買ってくれる人のためにサインをしている。
「君の手はきれいだよ。特にペンを持っているときの手はとても美しい」

そうかな、と言うと、そうだよ、と言う。そう言われて見てみると、そうなのかもしれないな、と思った。

「君の手は、正しくフォークやナイフや箸を持つためにあるんじゃない。ペンを持って文章を書くためにあるんだ。君は僕の食べ方を褒めてくれたけれど、それと同じように僕は君の書き方を讃えるよ。だって僕は、君みたいに書くことができないもの」

なんだかそのとき、ああ、もしかしたら自分は間違っていなかったのかもしれないな、と思ったのだった。わたしは、自分の箸の持ち方を守ってきてよかったんだ。

写真に映るわたしの手は、やっぱり正しくない持ち方で、中指と薬指でペンを支えている。この手で、この持ち方で、わたしはずっと闘ってきたんだなと思った。誰も傷つけない、誰も憎まない、誰も貶めないやり方で、振る舞い続けたんだ。

「見返してやる」と思ったお客さんの顔を、今ではちっとも思い出せない。
かわりに目の前には、「ペンの持ち方が美しい」と言ってくれる人の顔がある。
そのことに気づいて、わたしはちょっとおかしかった。

多分心の棘も、もうすぐなくなるんだろうなと思う。
そしてこれからも、わたしはこの持ち方で生きていくんだろう。間違ったやり方で箸を持ち、間違ったやり方でペンを持ち、ものを食べたり、ものを書いていくんだろう。

「マナーなんて気にしなくていいよ。要はおいしいものをおいしく食べることができたらそれでいいんだから」

正しくないやり方でも、美しく振る舞えたらそれでいい。
わたしが欲しかったのはそういうものだったんだと、柳下さんと話していて気がついた。

栁下さんさようなら

 

土門蘭さま

はじめまして。いつもインタビュー記事や小説、読ませていただいています。突然すみません、私は『栁下さん死なないで』を書いてみないかと、生前栁下さんに言われたことがある者です。

その時は、私は土門さんにお会いしたこともないし、書ける気もしないし、戸惑いました。でもすぐその場で断るのは感じ悪いかなと思い、あとで断るつもりで「ちょっと考えさせてください」とお茶を濁しました。

まさかこんなに急に柳下さんに会えなくなってしまう日が来るとは思っていなかったので、まだ現実味も何もないのですが、びっくりした後に、悲しいとか寂しいという気持ちと一緒に、あ、あのオファーに返事してなかった、ということを思い出したので、書き上げられるかわかりませんが、書き始めてみました。何をどう書いたらいいのか、現時点ではノープランです。完成しなかったらごめんなさい。

 



 

なぜこの『栁下さん死なないで』の話題になったかというと、ある私が寄稿させていただいたリトルプレスを、かもめブックスさんと千葉の16の小さな専門書店さんが仕入れてくださったそうなんです。それを知ったときに、栁下さんにも読んでほしいなと思い、1冊差し上げました。すると数日後栁下さんが、「文章上手ですね」と褒めてくださったあとに、冒頭の書いてみないかという言葉を続けられたのです。(ちょっと話が逸れるのですが、栁下さんに褒められると、幼稚園や小学校低学年くらいのときに大人に褒められたような、「えっへん」と言いたいような気持ちになりません?ちょっと胸はりたくなるような。)

 

その時の気持ちは、正直言うと、ちょっと複雑でした。
理由はシンプルです。嫉妬ですね。

私は『栁下さん死なないで』を、読まないようにしてきました。小野民さんが寄稿された回があったかと思うのですが、その内容が私のような人間の心理をドンピシャに言い当てているように思います。私は編集者と作家の身近なところで仕事をした時期もあるので、そのある種特殊な関係性のこともある程度はわかっているつもりだったし、別に栁下さんの身近な人間でもなかったのですが、あんな風に気にかけてくれる他者がいる、自分のことを見てくれる他者がいる、という土門さんに、勝手に嫉妬してしまうので苦しくて、読まないほうが私の精神に良いだろう、と思ったのです。

私が一方的に、しかもお会いしたことはなく文章からだけ土門さんのことを知っている状態なので、こんなことを言われても困りはると思いますが、私は私と土門さんは似たところが多いんちゃうかな、と思っています。私も、気分の浮き沈みが激しくて、よく気持ちが落ち込むし、人や世界との距離の取り方や、物事の捉え方、なんというか、生きるのが結構大変な感じが、わかるわかる、私も私も!という感じでめちゃくちゃ共感出来るのです。生のたまねぎやにんにくを食べたら胃が痛くなるし。

だからでしょうか、土門さんが栁下さんにかけてもらっている言葉は、私自身が誰かから言われたいことなのです。土門さんは私が持っていないものを沢山持っている、それだけでも羨ましいのに、土門さんが書かれる栁下さんと土門さんの関係を読むと、さらに羨ましくなって、自分が何も出来ないダメなやつに思えて、嫌になるのです。私は作家でもライターでもないので、編集者についてもらう仕事をそもそもしてないですし、勝手ですよね。でもだから読まんようにしてました。

さらに、どこかのインタビューだったか定かではないのですが、「コンテンツを増やすだけ増やしてその更新を止めてしまうのは良くない」みたいなことを栁下さんが土門さんにおっしゃっていることを読んだ記憶があって、そんな人が始めたブログのルールを守るためになんで私が文章書かなあかんねん、と思ってしまったのです。栁下さんは土門さんの編集者で、いつも土門さんの文章を読みたがっていて、それだけで羨ましいのに、そんな人が自分で決めた締切を守れないが故の穴を、なんで私が埋めてちゃんと4のつく日に更新されるようにしてあげなあかんねん、と。

めちゃくちゃ性格悪いでしょう?私。そんな意図は栁下さんにも、ましてや土門さんには全くないのはわかるんですけどね。心が狭いんです、私。

 

あ、これあかんなあ。完成する気がしないし、ただ人を傷つけるだけになる気がする。ごめんなさい。

 

とはいえ、書くとしたら何書こう?と考えてはみたんですよ。
すぐにやっぱり無理、と諦めましたが。
だって、そのときまとめて過去の記事を読んでみたのですが、これまで寄稿されたもの読んだら、誰が次書けます?あんな小説や漫画を創作する能力、私にはありません。
(今、ちょっと我に返ったら、このブログを楽しみにしてはる人は、いつもよりおもんないなとがっかりしてるんちゃうか、と怖くなりました。ねえ?そこの読者の方、いつもとあまりにも違いすぎますよね?ごめんなさいね。たぶんもうちょっとやから。)

 

私が死なないでほしい、いや、死なんとってほしかった柳下さんに書けた原稿はたぶん一行、「お水をたくさん飲んでください」です。それしか思いつきませんでした。ビールとコーヒーを飲んでいた印象が強いからでしょうね。WEEKENDERS COFFEE All Rightはどちらも美味しいし。でも利尿作用あるでしょうどちらも。塩分多い食事も多そうやし、お水飲んで血液ちょっとでも薄めてほしいなと。
規則正しい生活を、とか、運動と食事に気をつけて、とか、長生きしてほしい人に言いたいことはいくらでもあるけれど、まあどう考えても忙しそうな日々に取り入れられそうにないし、(そもそもそんなん余計なお世話やし)、でももし何かひとつ、と言われたら、血管詰まらせんように、せめて水いっぱい飲んでほしいなと、その時思ったことを覚えています。

他の寄稿されている方みたいに、私にとっての栁下さんを切り取ってみたらいいのか?とも思ったのですが、想像してみたそれは至極パーソナルなものになってしまって、誰が興味あんねん、という自分のツッコミから逃れることが出来ず、それも書けないなあと思いました。

「僕のことを書いているようで、みんな自分のことを書いているだけだから大丈夫」と、書いてみないかと言ってくれたときに栁下さんが言ってくれたのですが、その視点で考えるのはもっとダメでした。私にはここで表現出来ることは何もないです。栁下さんにも土門さんにも関係ないことをひたすら書いてみようかなとも思ったのですが、完全にスベることしか想像出来なかったのでやめました。スベることを何よりも嫌がる、関西人の悪い癖です。

 

でもじゃあなんで、今になって、もう栁下さんに読んでもらえないのに、私はこうやってキーボードを叩いているのでしょうね。なんで書くはずのなかった文章を書いているのでしょうね。

たぶん、もっと話したかったのでしょうね、栁下さんと。もっと自分が考えていること、思ったことを、伝えたかったのに、それをしようとしなかったことを、こんなこと言ったらなんて思われるだろう、なんて勝手に先回りして心配して、結局言わないままにしてしまったことを、後悔しているからでしょうね。我慢したり抑えたりしてしまった気持ちが、行き場をなくしてしまっているからでしょうね。自分も人も、いつ死ぬかなんてわからないということを、知っているはずなのに、どうして後で後悔してしまうようなことを、繰り返してしまうのでしょうね人間は。

 


 

書け書け、あなたには才能があるから、という言葉を残してもらったあなたが、とても羨ましいです。本当に。だから、あなたにはその才能があるのだから、これからもどうか、言葉を紡ぎ続けてほしいと思います。それが出来るあなたが、本当に羨ましい。

だって、いい作品を読み続けたいと、栁下さんはいつも言っていたじゃないですか。あなたが素敵な文章を描き続けたら、もしかしたら、もしかしたら私たちまた、栁下さんに会えるかもしれないじゃないですか。いい作品を、楽しまずにいられる人ではなかったでしょう、栁下さんは。

 

 

 







 

 

 

知らんけど。
(ああまた関西人の悪い癖出てる)

「悩み」もどきと、柳下さん

わたしには常にいくつか悩み事があるのだけど、そのうちのひとつは「お腹が弱い」ということだ。生のたまねぎやにんにくなど香りの強いもの、とんかつやカルビなど脂の多いものを食べると一発でお腹を壊す。冷えた牛乳やコーヒーもアウト。どんなに暑い夏場でも、わたしは喫茶店で汗をかきかきホットドリンクを飲んでいる(でも不思議とビールは大丈夫)。

緊張すると腹痛、冷えると腹痛、慣れないものを食べると腹痛。だから、ものを食べるときいつも、「これを食べてお腹が痛くならないかどうか」で判断することになる。食べたいものが、イコールお腹が痛くならないものとは限らない。

いつからこんなに弱い胃腸になったのか。なんでもおいしそうにぱくぱく食べている柳下さんを見ていると、つい「いいなあ」という言葉が出てくる。「なんでも食べられて、楽しそうでいいなあ」と。

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柳下さんは、食べることが大好きだ。嫌いなものもなく、たくさんの量を食べることができる。だからお気に入りのお店もたくさんあるし、連れていってくれるお店はどこもとてもおいしい。

柳下さんが「これおいしいよ! 一緒に食べに行こうよ!」と薦めてくれているのに、わたしの胃腸の弱さが原因でいまだ果たせていない食べ物がいくつかある。とんきのトンカツ、梁山泊の肉あんかけチャーハン、名前は忘れたけどこのあいだ一緒に入ったカレー屋さんのマトンカレー。台湾に一緒に行ったときには、屋台で売っていたタピオカミルクティーも飲めなかった(柳下さんはおいしそうに4杯飲んでいた)。

気持ちは食べたいし、飲みたいのだ。でもお腹がついていかない。食べる喜びよりも、お腹が痛くなるのではないかという不安のほうが大きくなってしまうわたしには、食べたいものを何の心配もなくのびのび食べられるというのは、とても羨ましいことなのである。

柳下さんはそんなわたしのことを「かわいそうに」と言う。
「かわいそうに」と同情されることはやぶさかではない。だって本当にかわいそうだから。だけど、柳下さんはそこにわたしがい続けることをよしとしない。わたしを「かわいそう」な状態から連れ出そうとする。
「よし、君の弱いお腹について、腰を据えて話し合おうじゃないか」
と言って。

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先日、わたしがものすごく滅入っていたことがあった(わたしは意味もなく滅入ることがたびたびある)。柳下さんがその雰囲気を察して、すぐに電話をかけてくれてこう言った。
「君にとってのひとつの厄介ごとである、『弱いお腹』問題をここできれいに解決しようじゃないか」

多分、彼はわたしを励ましてくれようとしたのだと思う。わたしの気分の低迷にはあらゆる要素が絡みついているので(気圧、季節、体調、人間関係、etcetc)、そのうち解決できる問題はできるだけ解決しようとしてくれたんだろう。

まったく元気のなかったわたしは、iPhoneを耳に当ててうなだれながら続きを待った。

彼が言うにはこうだった。
「まず、解決すべき事項の優先順位を決めよう。君のお腹が弱いことで起こる、もっとも厄介な問題ごとは何だろう? おいしいものが食べられないことだろうか? それともお腹が痛いということだろうか?」

「……お腹が痛くなってトイレに行かないといけなくなること、かな……。誰かと話していても、上の空になってしまって集中できなくなるでしょう?」

わたしは覇気のない声で返す。すると柳下さんは「ふむふむ。なるほど。理解した」と言い、「じゃあここで僕からひとつ提案があるんだけど」と続けた。

「オムツをしてみるというのはどうだろう?」
「オムツをしてみる?」

思わず同じ言葉を繰り返す。意味はわかるが、内容がなかなか入ってこない。

「そう、オムツ。もちろん大人用のオムツだよ。おや? 君の気持ちはいま、僕から離れていこうとしているね? まあ落ち着いて。ここはひとつ、僕の話を聞いてほしい」

柳下さんはそう言って、「あのね」と切り出した。

「あのね、僕は娘がまだ幼いときに、彼女がしているオムツがどういうものなのかを試してみたことがあるんだ。それで大人用のオムツを試してみたんだけど、あれはすごくよくできているということがわかってね……」

その後、柳下さんはオムツを使用した感想を淀みなく喋ってくれた。使用感もいいし、においもそんなに気にならない。だから君がオムツを履くのは「あり」だと思うと。

「というわけで、君もオムツを履けば、いつお腹が痛くなろうとトイレに行かなくてすむんだよ。どう? これでひとつ問題が解決したでしょう?」

わたしはすぐさま「それはできない」と答えた。それはできない。すると柳下さんは「どうして?」と、心底不思議そうな声で言う。
「どうしても。どうしてもできないから」
ロジックでは勝てないことがわかっているので、わたしは意地ではねつけた。柳下さんは「そうか……」とつぶやき、「どうしてもできないなら、しかたない」と引き下がってくれた。わたしは少しほっとする。

「じゃあ、もうひとつの問題である『痛み』はどうだろう。こちらは解決できるんじゃないかな? たとえば胃腸薬や痛み止め。ロキソニンバファリン正露丸なんかで」

オムツに比べれば断然受け入れやすい提案だったので、「そうだね」とそちらにはあっさり同意した。「確かに、薬を持ち歩けばかなり厄介ごとは減るかもしれないね」

柳下さんは「じゃあ決まりだね」と、明るい声で言った。
「よかったよ、君の厄介ごとがひとつ減って。これで君も、おいしいものを気兼ねなく食べられるね」
と、ほっとしたように。

「今度君におしゃれなピルケースをプレゼントしよう」
そう言って、柳下さんは電話を切った。

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ずっと前に、彼にある連載でインタビューしたことがある。
わたしは「柳下さんは、悩むことはありますか?」という質問をした。
すると彼は「悩みって、判断を保留している状態のような気がするんです。だからそもそも悩まない。悩まないようにしたい」というような返答をしてくれた。

「悩んでる状態って、パフォーマンスを下げる気がするんですよ。
でね、悩みって何かって考えると、『自分の力でどうにもできない』っていうファクトが大きいんじゃないかと思うんですよね。自分以外に要素が絡むこと」
(引用元:https://bamp.is/interview/kodoku01.html


電話を切ったあと、わたしはその言葉を思い出していた。
彼にとって「自分の力でどうにもできない」こと以外は、「悩み」ではない。
あの言葉を聞いたとき、強い人だなあ、と思った。それって、言い訳ができない状態にするってことじゃないか、と。

だけど、だからこそ柳下さんはいつもパフォーマンスが全開なのだと思う。
自分にのしかかる「悩み」もどきを力づくで解決していって、「悩み」じゃなくしてしまう。彼を見ていると、確かに悩んでいる暇はないなと思う。人生短いのに、何を「悩み」もどきに惑わされているのだろうと。

そんなことを思っていたら、なんだか滅入っているのがばからしくなった。それで、無理やり身体を動かして近所のジムに出かけることにした。ジョギングをしていると、気分の滅入りが、汗と一緒に流れていくようだった。ああ、これも解決できる類のものだったのか。ひとつ言い訳ができなくなったなと、ちょっと思う。でもそれは、ひとつ強くなった、ということなのかもしれない。「悩み」もどきをやっつける、惑わされない強さ。


いつか、とんきのとんかつを食べに行きたい。おしゃれなピルケースを携えて。
それが今の楽しみだ。

「書けない」と「読みたい」

全然文章が書けないというときがある。今がまさにそうだ。書きたいことがないのではなくて、書きたいことはあるのだけどそれを言葉に変換するパワーが乏しく、スピードが遅くなっている、という感じかもしれない。「どう思いますか?」と不意に聞かれて、「えーっと」と、慌てて頭の中の絵を把握するところから始める感じ。無理に書こうとすると、焦ってしまってなぜか涙が出る。子供が授業中に急に当てられて、言葉が出てこなくて代わりに急に泣き出してしまう、あの感じに似ている。

この間、本が一冊出た。『経営者の孤独。』というタイトルの本だ。今月末にはもう一冊本が出る。そちらは長編小説で『戦争と五人の女』という。どちらもものすごく労力をかけた本だ。満身創痍になりながらも、とにかく完成させなくちゃと必死で、わたしは原稿といつもぎりぎりのところで格闘していた。余裕なんて一切なかった。

5月がいちばんきつかった。締め切りまで絶え間なく全力疾走をしていたような1か月。6月の頭に脱稿して、ほっとして、なんだかそれから調子が崩れた。疲れているのか、燃え尽き症候群というやつか。そんなことを思いながら、変わらず来る締め切りに合わせて、それからもいくつか原稿を書いた。でもだんだん、原稿を書くスピードが落ちてきて、原稿に向き合うのもなんだか怖くなってきた。できたら逃げ出したい。向き合いたくない。それが7月に入ってもまだ続いている。


ついこのあいだ、ふたつの締め切りがあった。
ひとつめの原稿は、普段の1.5倍時間がかかった。それでもなんとか書き上げて柳下さんに送ると、彼は「おもしろいね」と言った。よかった、おもしろかったんだ、とほっとしていると、どうやら原稿のことを「おもしろい」と言ったのではなかったらしい。
柳下さんは、「構成がゆるい。いつもはもっとフォーカスが強いのに。どうやら君は不安定だね?」と続けた。わたしはぎくりとした。まさにその通りだったから。柳下さんは、そのわたしの変化を「おもしろい」と言ったのだった。

ひとつめの原稿については改稿でなんとかなったけれど、その後とりかかったふたつめの原稿にいたってはますますひどくなり、まったく書けなくなってしまった。
いつもは楽しく書ける原稿なのに、今度ばかりは何度書こうとしてもだめ。書いては消し、書いては消しを繰り返し、気付いたら締め切り当日の夕方になっていた。
わたしにはこどもが二人いるので、夜はほとんど執筆できない。もうだめだな、今日は締め切りが守れないな。そう思って、そこでようやく柳下さんに「全然書けない」とメッセージした。
「もう何度も書き直しているんだけど、全然書けない」
焦燥感と情けなさで、涙が流れて止まらなかった。

そのあと柳下さんから電話が来た。書けなくて泣いていたので、満足に返事もできない。柳下さんは、「かわいそうに」と言った。そして「君は本当にすごいね」と。
文章が書けないと言ってめそめそ泣いているわたしのどこがすごいのか。そう尋ねると、「だって君は『書けない』ということにちゃんと向き合っているじゃないか」と言う。

「逃げずにずっと書こうとしていたんでしょう? ひとりで『書けない』ことと向き合っていたんでしょう? それはすごいことだよ」 

それでも、柳下さんは「書かなくてもいいよ」とは言わない。「今日は書けないかもしれない」と言うと、「それでもいいよ」と言ってくれるけれど、でも「書かなくてもいいよ」とは自分からは決して言わない。

柳下さんは、
「『書けないこと』と『生活』について読んでみたいな」
と、言った。

わたしはそれを聞いて、ほとんど降参した。
グラウンドで膝に手をつき「もう走れない」と言っているのに、「今度はあっちのコースを走ってみようか」と言われているみたいだ。
「書けない」と言っているのに「読んでみたい」と言われて、わたしは泣きながら笑ってしまった。

ああ、この人は本当にわたしの文章を読みたいと思っているんだな、と思う。
わたしが「書けない」と思う以上に、「読みたい」と思っていて、それ以上にわたしが「書ける」と思っている。
となると、書かないわけにはいかなかった。「読んでみたい」と言われたら書くしかない。さすが編集者だな、かなわないな、と思った。

結局わたしはその夜、子供達が晩ご飯を食べている間にテーブルの隅で原稿を書き上げた。言われたとおり、「書けないこと」と「生活」について書いた。締め切りにはちゃんと間に合った。


柳下さんに「書いたよ」と連絡すると、「待ってた」と言った。やっぱりだ、とわたしは思った。

「君が書けるって知ってたよ」
わたしはわたしが書けるって知らなかった。
ただ、「読みたい」と思われているのはわかった。だから書いた。
わたしの「書けない」が編集者の「読みたい」に負けた。まるで綱引きをするみたいに、ずるずると引っ張られて。だからわたしは書けたんだ。


これから何度もこういう日が来るんだろう。「書けない」ことと向かい合い、「読みたい」人に支えられ、なんとか書いていくんだろう。
そうして書いた文章は、小さな作品となり、わたしの一部となっていく。そのたびわたしは少しずつ大きくなって、きっとまた、新しく「書ける」ようになるんだろう。


そう言い聞かせて、この文章も書いている。

柳下さんと暮らす。

当時「拙宅に書生が居りまして」と話すと、皆一様に驚いた。
それが愉快で、僕も大げさに吹いていたように思う。
平成から令和にうつる辺りの、
大阪から上京した國重裕太君(ちゅーたくん)との奇妙な同居生活が、
このような文章を生み出すことになるとは、
まったく人生というものは小説よりも実に奇なるもの。
二十代前半の青年期を僕は先輩という存在と触れてこないままだったので、
このような後輩との生活はとても興味深かった。
知見を惜しまずに公開する悦び。まるでバトンを渡すように。


****************************
柳下さんと3ヶ月ほど同居した。
東京で家無しになりかけていた僕を快く迎え入れてくれた。
その間、神楽坂のワンルームで寝食を共にしながら仕事をしたり遊んだりした。

柳下さんのライフスタイルは予想どおりのパワフルだ。
日を跨いでからバーガーキングをキメ込みに行ったり
(定期的に)目をしばしばさせながら原稿と長時間格闘したり、
と思いきや、ゼルダの伝説を夜中までプレイしたり、一緒に映画を観たり、
とても楽しい3ヶ月だった。

その生活の中から
柳下さんを柳下さんたらしめるようなエピソードを少し挙げてみる。


【自由になろうと】
ホームレスやホスト、海外を放浪したりと波瀾万丈な人生を歩んできた柳下さん。
そのエピソードの数々は壮絶すぎて「ホントかよ。」って思う時がある。
記憶と摂取した物語が混同して
別の次元を構築しているのかなとたまに思うけど、恐らくすべてホントだろう。

柳下さんは地面があれば大体どこでも寝れる。
家に帰って寝るという行為は、
それまでプレイした内容をセーブポイントで保存する
RPGゲームのそれに近いと思う。
柳下さんは睡眠という行為がとんでもなくシームレスなので、
セーブの感覚があまり無いのだろう。
無いというかオートセーブしている。

睡眠という生理現象によってある程度生まれる、
帰る場所・日常のルーティンから意識的に遠のこうとしている。
ひょいひょいと身をこなしながら今日もどこかに現れ、
自分の知らない何かを探しに行くのだろう。

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【整頓すること】
柳下さんは片付けができない。
服はそこらへんに散らかっているし、
コップもシンクいっぱいになるまで洗わない。

柳下さんの家には本がたくさんある。
そしてどんどん増える。that’s混沌。
ある日、部屋に本棚を増やした。
僕はまず、漫画だけをまとめようと
部屋に散らばる漫画たちを棚に挿しはじめた。

そのとき「棚がつまんなくなる!」と柳下さん。
続けて、「1つの棚に対して色んな本があった方が見ていて楽しいじゃん?」と。
聞くと、僕が混沌だなと認識していたジャンルも判型も違う本の並びは、
買った順で並んでたらしい!(早く言ってよ!)
資料として引っ張り出した本を戻さずにずっと出しっぱなしにする柳下さんが悪い。

「昔の本屋は面陳(表紙が見えるように並べること)なんてされて無かった。良書に出会うため、背表紙がずらっと並ぶ棚を血眼で見ていたらしい。そんな本屋をいつかしたいね!」
予定調和的に検索できない部屋の本たちを眺めながら
少し前に柳下さんがそんなことを言っていたなと思い出した。

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【愛おしい空間】
ローカルの素敵なお店から、
深夜に2人で流れ着いた数々のナショナルチェーン飲食店など、
色んなところで柳下さんと食事をした。

食事を通して色んな場所に連れて行ってくれた。
その中で1番印象に残っているお店は
迷わず中目黒にあるとんかつ屋「とんき」だ。

味もさることながら、空間がとても良い。
暖簾をくぐると34人ほどが並べる大きなU字のカウンター席が
厨房を囲むように並んでいる。
構成が驚くほどシンプルでどの席からも厨房を見渡すことができる店内は、
さながら教会のような潔い空気感を纏っている。
使い込まれた無垢のカウンターは毎日の拭き掃除により
なんとも言えない手触りを提供している。
阿吽の呼吸で調理される様子をカウンターに座る全員が眺めている。
職人の手により生まれるそのうまいとんかつを食べるために
集まる図はさながら神に救いを求める聖人のようである。
そして最高に愛おしいのが、
その神聖な店内には「隙」が散りばめられていることだ。

照明のランプシェードがキレイに整列している。
と思いきやよく見ると歯抜けだったり、
大きなカウンター席を設けるために結果としてうまれた広い厨房は
器具を並べても床が余っていたり、
中央に掛けられた時計がバカみたいに大きい。
とんかつを待っている間にそんなことを考えていると、
だんだんそれが完璧に作り込まれた「意図的な隙」に見えてくる。
トイレの窓枠に突っ張っている角材すら
何かを雄弁に語りかけてきそうだった。
(タイルの垂れ防止なのだろけれども)

実際のところどこまでが恣意的なのかは分からない。
が、ここまで作り込まれたように思わせてくれる空間は一体何なんだろう。

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僕は設計の仕事をしている。
建物を設計するにあたり、複雑な条件をまとめる手法として計画学を使う。
求められる用途から必要な機能・行為を洗い出しそれに必要な諸面積を設定…そしてパズルを埋めるように…数学の証明問題を解くように…設計が進んでいく。

それは積み上げられたロジックのかたまりだ。
ある種の正しさを纏ってそこに存在することができる。
(たとえ危ういものだとしても)

設計はどこかのタイミングでゲームになる。
ルール化(合理化)を目的としたモジュールと規格の世界に突入する。
それは設計者にとても重要な作業であり、やりがいに満ちた仕事だろう。
でもその時、人間は置いてけぼりになってはいないだろうか?
ある都合によって生まれた空間に人間が当て込まれただけになっていないだろうか?
降っておりてきたフレームを巣として暮らしているそれは
本当に求めていた空間なんだろうかと思うことがある。

柳下さんと仕事をしているとついついゲームの快楽に向かってしまう未熟な僕を
「なんとなくこっちの方がよくない?」と問い正してくれる。
図面を描き進めていくうちに取りこぼした、
「名付け得ぬ質」みたいなものを取り戻してくれる。

ルール化はとても大事だ。
だけど、それがもたらしてくれる秩序だけでは退屈だ。
ここに書いたひょいといきなり現れる人や、一見ぐちゃぐちゃな本棚、あのとんかつ屋のトイレで突っ張ってた角材みたいに
ふと思い出す記憶はいつも断片だ。経験はぶつ切りになって保存される。
建築はそれを受け止める場所でしかなくて、いかにその強烈な経験が内在的なバイアスで引き起こるかを期待しながら待つことしかできない。

そういった日常に埋もれる、
そっと隠れた愛おしい瞬間をずっと探しながら生きていきたいし、
それが自分たちのつくった空間で巻き起こってくれれば、
これ程幸せなことは無いだろう。
それはささやかで在りつつも決定的に無くてはならないものだと思っている。

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初稿で自分のために書き、改稿で読者のために読む

小説家を見つけたら』という映画に、こんなシーンがある。

偏屈な小説家が、文才を持つ青年に、文章の書き方を教える。タイプライターに向かった小説家は、まるでピアノを弾くように素早く文字盤を打ちながら、青年にこう言う。
「考えるな。第1稿はハートで書け。そして、リライトで頭を使え」

この映画を観ながら、柳下さんも同じことを言っていたな、と思った。
彼の言葉を柳下さんの言葉に置き換えるならこうだ。
「書け書け、土門蘭。駄文だと思っているのは君だけだ。あとは改稿で直せばいい。文章は改稿がすべてなんだから」


さて今、わたしは小説『戦争と五人の女』の入稿を目前としている。
2017年1月から書き始めた小説だから、ここに来るまでに2年半かかったことになる。
その間ずっと併走してくれた編集者・柳下さんには、心からお礼を言いたいのだけど、それは本ができあがってからにするとして、今回は「改稿」について書こうと思う。


ついさきほど、第5稿を柳下さんに提出したところだ。
つまりこれまでに4回改稿をしたことになるが、もしかしたらもう1回くらい改稿が必要かもしれない。
柳下さんと作品をつくり始める前、彼は、
「僕は仕事がしつこいから、君が嫌にならなければいいけれど」
と言っていた。
しつこいってどういう意味だろう?と、そのときはよく意味がわかっていなかったけれど、多分この改稿の粘り強さについてそう言っていたのだろうなと今は思う。


改稿というのは、本当に大変だ。
一度書いた原稿を、編集者に読んでもらう。それから「ここはもっとこうした方が伝わりやすいのではないか」とか「ここをもっと書き込んだ方が良いのではないか」とか意見(赤字)をもらって、それを持ち帰り、うんうん考えて、もう一度書き直す。それが改稿だ。

改稿をすると、ものすごく疲れる。眠たくて眠たくて、無性に甘いものが食べたくなる。それは多分、まさにくだんの小説家が言う通り、「頭を使」う行為だからなのだと思う。


あれは第何稿のときだったろう。
柳下さんが赤字を入れた原稿を手にしながら、「少し乱暴な言葉を使うと、君には『思い込みクズ』なところがあるな」と言った。

「思い込みクズ?」
びっくりしてそう聞き返すと、柳下さんは頷いた。
「君には少し狂っていてサイコパスなところがあるのに、そんな自分のことを正常だと思っている節があるんだ」

ぽかんとしているわたしに、でもね、と柳下さんは続ける。

「『思い込みクズ』であることは、小説を書くのに必要な条件なんだよ。ここに書かれていることは本当なんだと思い込まないと、小説なんて書けないんだからね」

わたしは何と答えたらいいのかわからず、ただ「そうなのか……」とつぶやいた。

「だけど、自分が『思い込みクズ』であることは自覚していないといけない。君自身にとっては当然で書く必要もないと思っていることが、読者にとっては不可思議で全然わからないことがあるんだ。その断絶をつないでいこう。作品のなかに、読者の『共感』をちゃんと作ろう。それが改稿だ」

それから、柳下さんは念を押すようにこうも言った。

「もちろんそれは、『読者におもねる』ということではないんだよ。この作品はすばらしい。だから、少しのひっかかりで読者がこの作品に入り込めないことがあれば、それはすごくもったいない。そのひっかかりを、ひとつずつなくしていくんだ」

そしてわたしたちは、テーブルの上に原稿を置き、顔を付き合わせ、そのひっかかりについて話し合っていった。
原稿を1枚1枚めくりながら、柳下さんの入れた赤字をひとつずつ確かめていく。

「この主人公は、過去に自分が行ったことについてどう思っているんだろう? そのことがまだ書かれていない気がする。このままだと、読者はきっと主人公についてこれない」
「この主人公は、この登場人物についてどう思っているんだろう? その感情に変化はあったのかな?」
「この章はシーンがシェイクされているのがおもしろい。だけど分断された同一のシーンが離れているから、読者に『このシーンの続きなんだな』とわかってもらうために、つなげるための一文が必要だと思うんだ」
「各章のタイトルを考え直そう。見出しだけで、読者にとっての情報量がぐっと増える」
「あのさ……これ言うのすごく迷ったんだけど……この小説、全部で5章あるじゃない? でももしかしたら、第0章が必要なんじゃないかなって思うんだけど、どうかな?」

その赤字は、自分だけでは到底気づくことのできなかった矛盾であり、不可解であり、穴だった。ずっと同じ目線で見ていた風景を、角度を変えて見るような。そうして発見された小さな糸のもつれをほぐし、小さな穴を紡いでいく。まるで、大きな大きな1枚の布を織っていくような作業だ。

小さなもつれや穴をなくすには、もう一度0から考え直したり、自分の見たくない部分を見直したり、ダイナミックな変更を余儀なくされることもある。それはすごく、根気のいる行為だ。
それでも、改稿の前よりも良くなるという確信があるから、わたしたちは手を動かし続ける。ときには糸を解き、もう一度編み、新しく糸を付け足したりして。


柳下さんは言う。
「僕は君の言葉をたくさん聞いてきたから、どういう意図で書いたかもちろんわかる。でも、読者にはきっとわからないと思う」

そのたびに、わたしは内心驚いてしまう。
だって、柳下さんはこの原稿を何度も何度も読んでいる。多分、わたし自身よりももっと多く読んでいる。だけどそのたびに彼は、毎回「初めて」読んでいるのだ。

そうでないと、初めて読む読者の気持ちにはなれない。わたしたちにわかっていることが、読者にはわからないのではないかなんて、考えることができない。
ああ、編集者というのは本当に「読む」のが仕事なんだなと、そのたびに感服する。


「初稿で自分のために書き、改稿で読者のために読むんだ」
柳下さんはそう言った。
「これさえ覚えていれば、僕が死んでも君は大丈夫だよ」


ようやく、柳下さんの赤字が数えられるほどになってきた。
その赤字がなくなったときに、この小説は完成する。