「世界をまるごとハグするよ」

今年の1月から、「書くこと」一本で仕事をしている。
もうすぐ1年が経つが、今年はこれまで生きてきた中で、最も文章を書いた1年だった。

365日、頭のどこかでずっと原稿のことを考えている。
夜眠っているあいだも、視界が文字だらけの夢をよく見る。
一文字一文字増えていく景色を見ながら、夢の中でわたしは
「ああ、起きたらこの文章忘れてしまっているんだよな、もったいない」
と思っていて、起きたらやっぱり忘れている。

勤めていた会社を辞め、これからは「書くこと」だけを仕事にしていく、と決めた頃、「書くこと」だけに集中して大丈夫?と聞かれたことがある。
「書くことがなくなっちゃうんじゃない?」
というようなことを言われたのだったが、正直わたしにもどうなるか全然わからなかった。

ただ、自分の持っている時間の大半を「書くこと」に費やせるのは、自分にとっては念願のことだったから、その喜びが大きくて、そんなことを考えたことがなかった。だから、
「書くことがなくなるかどうかはわからないけど、精一杯やってみる」
としか、答えられなかった。

ずっと前にある女の子が、
「あなたの目には、世界は何色に見えていますか?」
という質問をいろいろな人にしてみたい、と言っているのを聞いたことがある。それを聞いて、おもしろい質問だなと思い、わたしの目には何色に見えているかなと考えてみた。

とっさに出た色は「灰色」だった。
最初、わたしの目には世界が灰色に見えているということなのか、と思ったけれど、よくよく考えてみると、灰色なのは世界ではなく、自分なのだった。

わたしの目には、世界はひどくカラフルな場所に見えている。あるがままの総天然色。その世界の中でずっと、自分だけ灰色だなと思っていた。灰色であることが、なんだかすごく嫌だった。
自分も燃えるような赤色や、輝かしい黄色や、かわいらしいピンクや、神秘的な青や、寛大な緑や、そういう色になりたい。
そう思ってかなり長いあいだ、自分の色を否定し、他の色になりたがっていたように思う。だけど他の色になろうとして他の色を混ぜてみても、自分の灰色がますます濁るばかりで、すごく苦しかった。

彼女の質問からそんなことを思い出して、ふと、ずっと自分は、灰色であるがゆえにできることを見つけたかったのかもしれないなと思った。
それが「書くこと」だったのかもしれないなと。

この1年、文章ばかり書いていた。
もともと器用なほうではないが、文章ばかり書いていると、他のいろいろなことがますます下手くそになった。
書類を前にするとどうしたらいいのかわからなくて動悸がするし、ホテルや飛行機のチケットをとるのにもめちゃくちゃ時間がかかる。新幹線の切符はすぐになくすし、東京駅日本橋口改札に行くには途中でふたりくらいに道を聞かなくてはいけない。

「君は本当に、世界になじまないね」
京都から東京出張に向かった日、結局日本橋口までたどり着けなかったわたしを、柳下さんは八重洲口まで迎えに来てくれて、顔を見るなりそう言った。
「ごめんね」と謝ると、「どうして謝るの?」と言う。

「だから君は文章を書けるんじゃないか。世界になじまないのは、いいことだよ」

そしてわたしのスーツケースを持って、
「なんだい、このスーツケースは? 君には申し訳ないけれど、こんなに使いにくいスーツケースを持ったのは初めてだな」
と言って笑った。


自分を何かものに例えるとしたら、わたしは一本の鉛筆だと思う。
シャープペンシルでもない、ボールペンでもない、木でできた鉛筆。
書けば書くほど芯が丸くなるし、ときどきぽっきり折れてしまう。そのたび、鉛筆削りやナイフで削って、芯を尖らせないといけない。そしてまた、書き始める。少しずつ少しずつ、体躯を短くさせながら。

「どうせ君は一生書き続けるよ」
柳下さんはよくわたしにそう言う。

「君が書けなくなることはきっとない。一時的に書かなくなるときはあるかもしれないけれど、それでもまた書き始めるよ。君の中には尽きない好奇心があるからね」


赤でも青でもない、わたしが出せる色は濃い灰色一色で。
できることと言えば、「尽きない好奇心」という鋏で世界の一部を切り取って、それがどんな色なのかを文字にすることだけだ。
そうすることでようやくわたしは、この世界に触ることができている。

「柳下さんにとっては、世界は何色に見えているの?」
そう質問したら、柳下さんは意外にもかなり悩んで、
「世界って見るものなのかなあ」
とつぶやいた。

「柳下さんにとっては、世界は見るものじゃない?」
「もちろん見るけれど、世界って、味わったり、嗅いだり、触ったりするものでもあるでしょう?」

そして柳下さんはしばし考え込んだあと「うん」と頷き、
「僕は世界を何色だと言うことができない。そのかわり、世界をまるごとハグするよ」
と言ったのだった。


世界をまるごとハグする柳下さんが、わたしにはとてもおもしろい。
世界と少し距離を置き芯の先でとらまえるのが物書きだとしたら、世界とくんずほぐれつしながら編み続けるのが編集者なのかもしれない。

そう思って、
「やっぱり、全然違うなあ」
と、笑ってしまった。


わたしの「尽きない好奇心」が自分に向いてしまって少し迷惑そうな柳下さんだけど、柳下さんを見ていると、世界ってこんなにやわらかいものなんだと思う。
触ったとおりにかたちを変えたり、思い切って食べてみたり、自分の一部にしてみたり、自分を一部にしてみたりできるものなんだなって。
安心してハグしていいものなのかもしれない、と思う。見てるだけじゃなくて、近寄って触ってみてもいいのかもしれないと。

それが嬉しくて、まるで自分を勇気づけるように、安心させるように、わたしはつい、いっぱい書いてしまう。

いつかわたしもハグできたらいいな、なんて思いながら。

そして、もしかしたらわたしはすでにハグしているのかもしれない、なんて思いながら。