ライフイズカミングバック、あるいはアイアムカミングバック

この年度末、わたしがめちゃくちゃに情緒不安定だったというお話はもう何度かしたと思う。そのときにわたしを大いに助けてくれたのが、漫画だった。作品は冨樫義博の『HUNTER×HUNTER』。低迷期間は暇があればこの漫画ばかり読んでいて、本当に救われていた。おかげで今は、だいぶ元どおりになっている。


今回の件でわかったことがある。それは、「現実逃避」の有効性についてだった。

わたしは「現実逃避」というのをあまりしない人間だ。元来心配性で臆病なので、逃避しているあいだに現実がどうなっているのか心配でしょうがなく、現実にかじりついて見守ってしまい、いつまでも手をねちねちとくわえてしまうところがある。そしてあれこれ思いをめぐらせ、ああなるかもしれないこうなるかもしれないとひとりくよくよし、いらない心配やいらないことまでしてしまい、結果的に疲弊する、ということになる。つまり、現実から逃げなかったために現実にやられてしまうわけだ。

今回の年度末もそんな感じだった。「自分ががんばらなきゃ」と思うことは良いことでもあるけれど、「自分ががんばればどうにかなる」と思いすぎると過度に自分を責めることになる(世の中にはがんばってもどうしようもないことも割といっぱいある)。
案の定力を入れすぎて眠れなくなったりしてしまって、毎日疲れ切った顔で生きていた。もうだめだ、と思うくらいに。


そんな日々の中でふと、高校の国語の先生に言われたことを思い出した。

「もしこの先死にたくなったら、本を100冊読みなさい。多分50冊にもいかないあたりで、また生きようと思うはずだから」

わたしはその言葉をずっとお守りにしていて、忠実に守っている。だからこういう「もうだめだ」というときは、自分が読みたかった本(Amazonのカートとかに入れてるやつ)の中から一番そのとき読みたい・あるいは読めそうな本を買い、読むようにしている。

それで今回買ったのが『HUNTER×HUNTER』(1-36巻)だった。いわゆる大人買いである。子供の頃本誌で読んでいたのだけど、大人になってからは長らく読んでいない。大きなダンボールで届いてからすぐ読み始めた。これがめちゃくちゃにおもしろかった。

ゴン、キルア、クラピカ、レオリオ、そしてヒソカや幻影旅団。
魅力的なキャラクターが続々と登場し、自らの能力を鍛え、限界を超える戦いの中でまたさらに成長する。狂気すれすれの純粋さを持つ主人公ゴンと、その彼に光を見る暗殺エリートのキルア。そして「団長」しか目的でない、あるいは信じてない幻影旅団。
わたしは予想もつかない展開にすっかり魅了されて、目が疲れてちかちかになるまで読みふけった。

まさしくそれは「現実逃避」だった。
書かなくてはいけない原稿、返さなくてはいけないメール、処理しなくてはいけない書類、洗わなくてはいけない食器、世話をしなくてはいけない子供たち。わたしはそういった「現実」から一旦目をそらし、少年ジャンプコミックスに没入していた。

本を閉じ、逃避先から帰ってくると、そこには依然として変わらない「現実」がある。だけど「はー、面白かった」とつぶやき顔を上げるたび、自分がどこか元気になっていることに気がついたのである。つまり「現実」は変わらないけれど、自分だけが少し変わっていたのだった。


そのとき思ったのが「現実逃避の有効性」、つまり「主人公を明け渡すことの有効性」だった。

わたしは「現実」のなかで「主人公」として生きている。だけど時折、それが煮詰まることがある。そういうときに一旦「主人公」を自分ではない人に明け渡し、もうひとつの「現実」を生きること。それが読書のひとつの効用なんだな、と思った。
本を読んでいる間、わたしは「主人公」という役割をいったん休むことができる。そして、自分ではない「主人公」の動向を見守ることで、自分という「主人公」を見つめ直すことができる。

ゴンは人を信じることを恐れないよなあ。キルアは小さい頃から訓練を重ねてきたんだなあ。クラピカは覚悟することで強くなったんだなあ。ヒソカは自分の欲に忠実だよなあ。そして誰もが誰にも依存していないで、自分の力で生きようと、仲間を助けようとしているよなあ。

そんな感じで、自分のなかにゴンやキルアやクラピカやヒソカが内面化されていく。その内面化は「自分にも少しはそういうところがあるのかもしれない」という気づきの作業だ。ぎゅっと近眼的に寄って見ていた自分の心を、少し離れたところから見て、光を異なる角度から当て直す感じ。

そしてそこで気づく。「うん、確かに自分にも少しはそういうところがある」。そして「自分もまた違うやり方で、いい感じに生きられるかもしれない」と思う。だからわたしは、少し元気になって「現実」に戻ってくることができる。



わたしが柳下さんと出会ったきっかけについて、ここに書いたことがあっただろうか?

せっかくなので今ここで書いておこうと思う。
柳下さんは共通の友達に紹介してもらった。
「この人は僕が知っている中で一番本を読んでる人だよ」
とその友達は言って、わたしたちは「初めまして」と言い合った(ちなみにわたしは、『いい文章を書く奴です』と紹介された。今井くん、ありがとう)。

それを機に柳下さんとSNSで繋がった。
そこで彼が「本と夜と時間と生活」についてのエッセイを書いているのを読んだことがある。少し長いけれど、大事なところなので、一部分を引用する。

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生活はいつもダラダラと続き、昨日と今日の区別はつかないまま。
でもね、逆説的だけど、読書が僕に時間をくれるのだと思っています。
夜、できれば雨なんて降ってるといいですが、ひとりで、小説でも随筆でも、何かを学ぶためや思索にふけるための実用書でも、ページを開いているときに、現実と違う時間軸が生まれます。
その時間だけが、生活をひととき忘れさせてくれます。
そして、ようやくリズムが生まれる。
僕は生活を忘れることによって、もう一度人生を思い出すことができるのです。
ライフイズカミングバック。変な理屈に聞こえるかもしれないけれども」

(『SHIPS Days 2016 Fall & Winter』より)
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柳下さんと知り合って、この夏で3年になるのだろうか。
だとすればこの3年間で彼が発した言葉の中で、わたしがもっとも好きなのはこの言葉だ。

「僕は生活を忘れることによって、もう一度人生を思い出すことができるのです」


わたしは「現実」から逃避することによってもう一度「現実」と向き合うことができた。国語の先生も、柳下さんも、本当にいいことを言う。いっぱい本を読んでいるからかもしれない。きっと何度も「現実」から離れ、いろいろな言葉を内面化して帰ってきたんだろう。


わたしたちは、どんなに人生に行き詰っても、何度だってカミングバックできる。
だって世の中には、こんなにいっぱい素敵な本があるのだから。

そうやって何度でも生き返る。現実と非現実を行き来しながら。