神楽坂の「ニコニコさま」
こんにちは。日本全国の「おじさんさま」を調査、研究している今井夕華と申します。
みなさんは、「おじさんさま」を知っているでしょうか?
おじさんさまとは、少年の心をいつまでも大切にして、夢中で好きなことを追いかけている「好奇心の精霊」が宿る神様のこと。
インドから伝わった信仰とされ、日本では、みなさんもよく知る「タモリさま」というおじさんさまが最も有名です。
長く使われた道具には、魂が宿り「つくも神」になるとされていますが、おじさんさまも同じ。
年を重ねて、周りの人たちがどんどん「大人」になり心が死んでいっても、決して少年の心を忘れない。
そういった、選ばれし純粋な人だけが、40歳の誕生日を迎えた次の満月の夜、光に包まれ、おじさんさまになれるといいます。
私は中学時代「クドカンさま」という神様との出会いをきっかけに、おじさんさまに興味を持ち始めました。
面白い作品を生み出すことに才能を発揮する反面、生きることには至っては非常に不器用で、職務質問は日常茶飯事。
生きづらさあってこその愛おしさを感じます。
何年か前に、中央線沿いの喫茶店で偶然クドカンさまのご本尊を拝見したことがあるのですが、売れてもなお挙動が不審で、いやはや裏切らないなあと感動したことを覚えています。
その後私は、みうらさま、オーケンさまといった「サブカルさま」たちの不器用で愛おしい生き方に触れ、荒れ狂う社会の渦の中でどうやって、好奇心の精霊を守り、生き延びてきたんだろう?と気になり、どんどんとその魅力にはまっていきました。
サブカルさまだけでなく、ガード下で一人、昼間から飲みつぶれているあの人も、実は「どこまでお金がなくても生きていけるんだろう?」ということを追求している、飲んだくれさまという神様です。
カメラさま、昆虫さま、プラモさま、パチプロさまなど、日常のあらゆる場面におじさんさまは隠れています。
嫌でも心が死んでいく現代社会において、おじさんさまは救世主。
おじさんさまに出会えたら、それは幸運の印です。あなたの心に、好奇心の精霊を宿すためにも、ぜひ拝みましょう。
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これは、神楽坂に伝わる「ニコニコさま」のお話。
【ニコニコさま】
ニコニコさまは、日本に伝わるおじさんさまの一種。
むっちりとした体つき、もじゃもじゃの髪の毛、丸い眼鏡をかけているのが特徴。
地域によって呼び名が異なり、そのニコニコとした様子から「ごきげんさま」「きげんさま」「ゴキゲンノカミ」「キゲンノカミ」。
確認できているだけでも、その分布エリアは広く、日本全国に祀られている。
当初はごきげんな様子を表すことから「機嫌さま」だとされていたが、近年の研究により、東京の神楽坂地域に限っては「期限さま」と表記が異なることが分かった。
これは、神楽坂地域に出版社が多く、締め切りに追われていた村人が多かったことから「きげん」という音に「期限」という字が当てられたものと考えられる。
転じて「締め切りの精霊」とも。
昔からこの辺りには出版社が多く、締め切りに追われてイライラしている不機嫌な編集者が多かったそうです。
ある日、とある編集者がストレス解消のため、喫煙所に出てタバコを吸っていたときのこと。
背後から「ねえ君!僕にタバコを一本くれない?」という声が聞こえてきました。
編集者がびっくりして振り向くと、むっちりとした体に、もじゃもじゃの髪の毛、丸い眼鏡をかけた、知らないおじさんが立っています。
そのおじさんは、ニコニコと笑い、続けてこう言うのでした。
「僕、もらいタバコするのが好きなんだよね!君と同じ味を、同じ空間で一緒に味わえるじゃない?ふふふ」
誰だろう、このおじさんは。
編集者は入社して5年目でしたが、今まで見たことのない人でした。インパクトのある見た目だし、偉い作家の先生なのかもしれません。
失礼があってはならないと、すぐにタバコを一本差し出すと、嬉しそうにふかしはじめるのでした。
「ふふふ、ありがとう。おいしいなあ。君は編集者なのかい?どうやら締め切りに追われているようだね」
「そうなんですよ。今日も遅くまでかかりそうで……」
「お悩みの様子だね。僕でよかったら、話聞かせてよ!」
「実は、担当している作家さん。締め切りがいっつもギリギリなんです。何度言っても直らなくて。本当にイライラするんですよね」
「そうなんだね」
「忙しくて全然休み取れてないし」
「うんうん」
「ずっと付き合ってた恋人とも、すれ違いが原因で別れちゃったし。そろそろ、この仕事やめようかなって……」
話すつもりはなかったのに、どんどん言葉が口をつく。暗い表情を浮かべる編集者の肩を、おじさんはポンと叩きました。
「まあまあ!君にいいことを教えてあげよう。作家が締め切りに間に合わないのは、実は編集者のせいなんだよ、ふふふ」
「え?僕が悪いって言うんですか」
「いやいや、君のことを悪く言うつもりはないよ。ただね、人は書けないものなんだ。作家のお尻を上手に叩いて、締め切りに間に合わせるのが編集者の仕事だよ」
「人は書けないもの……」
「そう。そして、やると決めたらニコニコやろう、というのも心がけておくといいいよ。ニコニコしている人には仕事が舞い込んでくる。誰だって、不機嫌な人に仕事を頼みたくはないだろう?ニコニコしていたら、いいことがたくさんあるんだよ。ふふふ」
ニコニコしていたら。編集者はその言葉を心の中で繰り返し、あれ、最近ニコニコしたことあったっけ、と考えてしまいました。
5年前、大好きだった出版社に晴れて入社できたけれど、仕事の忙しさからすれ違いになり、ずっと付き合っていた恋人とも別れてしまった。
趣味の本屋巡りをする機会も減ったし、カフェでゆっくりコーヒーを飲む時間も取れていない。
いつもいつも締め切りに追われ、作家の先生にイライラし、気づけばもうすぐ30歳。
タバコの灰が落ち、ふと編集者が顔を上げたとき。
おじさんはもうそこにいませんでした。
「……なんだったんだろう。不思議なおじさんだったな、ふふふ。……あれ、俺笑ってる」
以来その編集者は「やると決めたらニコニコやろう」という言葉を胸に仕事を続け、ベストセラー作家を抱える超売れっ子になったそうです。
神楽坂界隈の編集者の間では「ニコニコさま」という呼び名で、今もなお、その噂は語り継がれています。
最近神楽坂のとある神社から、ニコニコさまについての記述がある古い書物も発見されました。
御機嫌様
十大効能
締切間合
書籍良売
誤脱字減
食欲増進
美肌効果
二日酔無
快眠快便
全員笑顔
戦争終了
世界平和
どうやら良いことがたくさんありそうですね。
しかし、頼り過ぎにはご用心。
正しく理解し、丁重に、ほどほどに取り扱わないと、その強すぎる「ごきげん力」にあたってしまうというのです。
ごきげん力は絶対善。
こちらがいくら不機嫌になっても、ニコニコさまのごきげん力の前ではなすすべ無し。怒りや哀しみの感情は、圧倒的包容力に吸い込まれてしまいます。
たとえば、朝が早くてイライラなときには。
「僕はあまり寝なくても大丈夫なんだ。訓練しているからね。ふふふ」
残業でイライラなときには。
「迎えに行くよ。タイムズカーシェアは、夜12時を過ぎるととっても安いんだ。ふふふ。ドライブしながら銀座に行って、夜景の見えるつるとんたんで、美味しいうどんを食べようよ」
カバンが重くてイライラなときには。
「僕が持つよ。不機嫌になる前に先に気づいてあげられればよかったね、ごめんごめん。君にとっては重いカバンでも、僕にとっては軽いんだ。筋肉があるからね。ふふふ」
こちらが一切悪くなかったとしても「ニコニコさまは、なんて心が広いんだ。対して私の心の狭さといったら……」という気持ちにすらなってしまう力があります。
ニコニコさまは喜びと楽しみを追求している神様なので、一緒にいる人に「喜怒哀楽」の怒と哀の感情が発露したら、無意識に吸い取ってしまうようなのです。
ニコニコさまを祀っている全国各地の神社では、8年に一度、7月4日の夜に「怒哀感情解放の儀(どあいかんじょうかいほうのぎ)」と呼ばれる、感情を解放してあげるお祭りが開かれてきました。
ご本尊をやぐらの上に掲げ、周囲を取り囲み、村人全員で「やると決めたらニコニコやろう音頭」とよばれる踊りを踊り続けます。すると、夜明けとともに、ニコニコさまの感情が一気に放出されるのです。
この儀式が行われなかった場合、ニコニコさまの感情は正しく放出されずに爆発してしまい、たたりとして、村中の締め切りは全て破られ、誤字脱字が大量発生。編集者たちには大飢饉が襲いかかると言われています。
感情を放出し、大声で、怒ったり泣いたりするニコニコさまの様子は、「いつもニコニコしているニコニコさまでも、こんな感情になるんだな」と勇気を与えてくれます。
SMAPですら解散するような現代社会において、絶対というものは存在しないと、ニコニコさまは私たちに思い出させてくれるのです。
今なお、感情のお祭りは全国各地で開かれていますし、祀ってある神社もたくさんあります。
不安になったとき、イライラしたときには、ちょっと立ち止まって、ニコニコさまのことを思い出してください。
どこかできっと、あなたを応援してくれているはずです。
「ふふふ、君は絶対に大丈夫だよ。やると決めたらニコニコやろう!ニコニコしていたら、良いことがたくさんあるんだよ」
おしまい