わたしが書く言葉は、まず、わたしの前に強く現れる

このあいだ、いつも行くお店でマッサージを受けていたら、担当のお姉さんに「春って苦手なんですよね」と言われた。

「なんだか気分が塞ぐっていうか、そういうの蘭さんないですか」

めちゃくちゃありますよ、とわたしは答える。
この2,3月は精神状態が非常に悪かったし、と言うか春に限らず年がら年中季節の変わり目というのに弱い。

するとお姉さんはとてもびっくりしたように「蘭さんでもそうなんですか」と言う。
「仕事も子育ても両立してて、充実しているように見えたから」
「それは、お姉さんもそうでしょう」
彼女にも小さな子供がふたりいて、子育てしながら仕事もしている。お互いの子供どうしの年齢も近い。
「わたしにはお姉さんこそ、充実しているように見えてますよ」
すると彼女は、「えー全然ですよ」と言って笑った。

「わたしなんて中途半端なんですよ。子育ても仕事も、全部中途半端で、迷惑かけてばっかりで」
「いやいや、そんなことないですよ。いつもマッサージ気持ちいいですよ」
そう言うと、
「そう言っていただけるのは嬉しいんですけど」とお姉さんが困ったような顔をする。そういうことじゃないのは、わたしにもなんとなくわかるので、
「その気持ち、すごくわかりますよ。わたしもそうですよ」
と言った。

「本当ですか?」
「本当ですよ。ご飯作れないこともあるし、部屋ぐっちゃぐちゃのときもあるし、仕事の締切延ばしてもらうことだってあります。子供に当たることだってすごくありますし、それで自己嫌悪に陥って、洗濯物畳みながらめそめそ泣いたりしてますよ」

えー!と、頭の上でお姉さんの声が聴こえる。
お姉さんは、
「蘭さん、泣くんですか」
と言った。

驚いたポイントがそこだったことに、わたしは逆にびっくりする。
「え? めちゃくちゃ泣きますよ。泣かないんですか。お姉さんは」
それでそう尋ねたら、お姉さんはまるで小さな子供みたいに、
「泣いたらだめって言われているから」
と言った。

その言葉を聞いて、わたしは思わず口ごもる。なんとなく「誰に?」とは聞けなかった。

お姉さんは言った。
「泣き始めたらわたし、頭がわーっとなってうまくしゃべれなくなってしまうから、『話にならないから泣き止んで』って言われてしまうんです。だから、泣かないように泣かないようにって思うんですけど」
だめですよねえ、と彼女は弱々しく笑いながら言う。その顔を見ながら、わたしはなんだか悲しくなってしまった。

「でも、頭がわーっとなってしまっているから、言語化できないから、泣くんだと思うから」
と、たどたどしく返す。
「だから、泣いていいと思う。むしろ、泣くべきだと思います。一度感情を全部出して認めてあげるって、大事だと思うから」

するとお姉さんは、
「泣いてもいいんですかね」
と言った。わたしは強く頷いて、
「感情のデトックスだと思ったらいいんですよ」
と言った。
するとお姉さんは「そっかー」と笑ったけど、ちょっとつっつくと泣き出しそうな顔をしていた。 

その表情を見ながら、わたしも泣きそうになる。
「すみません、なんかわたしが泣きそう」
そう言うと、お姉さんは「ええー、なんでですか! 泣かないでください」と笑い出す。
わたしの目元にも、お姉さんの目元にも、ちょっと涙が浮かんでいて、「なんなんですかね」とふたりで言い合った。
「わたし、今度泣いてみます」
デトックス。と言って、お姉さんはまた笑った。



彼女と話しているとき、ずっと柳下さんとのやりとりを思い出していた。
さきにも書いたけれど、この2,3月は情緒不安定だった。理由はよくわからない。よくわからないからこそ、何もできずに耐えるしかなく、毎日生活していくので精一杯だった。
ここ最近は、柳下さんとは対面ではなくメッセージや電話でやりとりをすることが多かったのだけど、話をしているとなにかの拍子に泣きそうになることもあって、かなり困った。
仕事の話をしているのに泣き出してはいけないだろうと最初は我慢するのだけど、すぐに声の調子で気付かれる。
それで「ごめん、ちょっと泣きそう」と言うと、柳下さんはいつもすぐ、「泣いていいよ」と言うのだった。

「君はよく、『ごめん、泣きそう』って言うけれど、謝る必要はないし、泣いたらいいんだよ。泣きそうって言う前にもう、泣いたらいい。だって体の反応なんだから、無理に押しとどめたら、体に良くないでしょう? それは、トイレを我慢するのとおんなじだよ。トイレに行くのに『ごめん』も何もないでしょう?」

そう言われて、わたしは笑いながら「本当だね」と答える。
トイレを我慢するのは、確かに体に良くない。泣くのを我慢するのは、それと一緒なのかもしれない。

「それからね」と彼は続けた。
「僕とのメッセージで元気そうに振舞わなくていいよ。たとえば『!』マークな気分じゃないのに、『!』マークなんてつけなくていい。むしろ、返信すらしなくたっていい」

「そう?」と聞くと、「そうだよ」と彼は言った。

「そういうメッセージをもらうと、『土門さんは元気だ』って僕が勘違いしてしまうっていうのもあるけれど、君が自分で自分の書いた文章に傷つけられるのが一番よくないから」

「自分の書いた文章に傷つく」と、わたしは思わず繰り返す。
「君が書く言葉は、まず、君の前に強く現れるでしょう?」
と、柳下さんは言った。



そのとき、直近で自分の書いた言葉が、頭の中にぽつぽつと浮かんだ。
「了解!」「ありがとう!」「よろしくー!」

人間関係、仕事関係を円滑するため、わたしは日々さまざまな記号を使う。「!」だとか「(^^)」だとか「(笑)」だとか。
自分は今日も機嫌よく元気で過ごしていますよ、大丈夫ですよ、ということを暗に伝えるためだ。それが本当かどうかよりもさきに、相手に心配かけないようにと手が動く。

だけど、その記号があまりに自分の気持ちと乖離しているときには、その記号を画面上に打つたびに、自分が傷ついているのがわかるのだ。
キーボードを叩く手は重くなり、目の前に現れる言葉に小さく打ちのめされる。

傷ついているのは、小さな嘘をついているからなんだな、と思う。
自分よりも他人を優先する自分に、きっと失望しているんだろう。心のどこかで。



毎月わたしにマッサージを施してくれる彼女の笑顔は、いつも素敵だ。
でも、その笑顔も、もしかしたら彼女自身を小さく傷つけ続けているのかもしれない。
笑顔をつくるたびに。その顔を鏡で見るたびに。自分の笑い声を聞くたびに。

「君が書く言葉は、まず、君の前に強く現れるでしょう?」

一番近くにいる人間は、自分自身だ。
だからこそ、自分を一番傷つけるのも、自分自身なのかもしれない。

彼女が、泣きたいときに泣けますように、と思う。