「君はもう立派な大人なんだよ」

突然だけどわたしは自己肯定感が低い。

もっとちゃんと言うと、自分を肯定したり信じるために必要な「自分の信頼」タンクがあるとすれば、多分そのタンクのどこかに穴が空いている。「自分はこういうことをやってきたじゃないか」「こういうことを考えてこういう答えを見つけたじゃないか」「そしてそれはこういうふうに評価されたじゃないか」という事実、いわゆる成功体験だとか経験だとかがコインとしてそこに貯まり、貯金のように自信というものが蓄えられていくのだとしたら、ふとタンクを見たときに「あれっ、ない」ということが結構多い。
使ってしまった? 盗られてしまった?
そのどちらでもない。さっきも言ったように多分、わたしのタンクには穴が空いていて、そこから落としてしまったのである。

そのタンクになぜ穴が空いているのかはわからない。
もってうまれた形状・素材によるところもあるし、生育環境において損なわれたり補強されたりすることもあるから、一概にどうとは言えない。
とにかく、わたしはタンクに常に何か入れ続けていないとだめなのだ。穴からコインを落とすから。朝起きたらコインがなくなっていて、また必死で探しに行くような生活だ。だからわたしは朝が苦手だし、日中も常に漠然とした不安がつきまとっている。

溜め込むことのできないタンクを持つわたしができることと言えば、ずっとそのタンクに何か入れ続けることである。おそらくわたしにとっては「書く」ということがその行為に当たるのだと思う。書き続けて自分の言葉で満たすことで、タンクが空っぽにならないですむから。

ではタンクが空っぽになったらどうなるかというと、ガス欠状態になるというのがひとつ。自信がなくって動けないとか、ちょっとでも傷つきたくないからずっと家で寝ていたいとか、そういう感じ。
でもそれはわたしにとっては、まだましなほうだ。
たちが悪いのは、空っぽになったタンクに他者の言葉や視線が入り込み、それでいっぱいになってしまう状態である。
つまり支配されてしまう。人の意見や価値観が自分の中に内面化され、行動や発言が、他者の選んだそれになってしまうのである。

わたしはこれになりやすい。だから人の言葉でいっぱいにならないように、昔からずっと日記をつけてきた。「自分はこれを見てこれを感じこれを思ったのだ」そういうことを書きつけ続けてきたのは、多分無意識のうちに、タンクを支配されてはだめだと思っていたからのような気がする。


もう30年以上生きているけれど、最近になりようやくそれが自覚できた。
それを気づかせてくれたのは、柳下さんである。


昨年の秋頃、取材のために、柳下さんと長野へ一泊二日の取材に向かった。
1日目は長時間にわたるインタビュー、そして飲み会。2日目は長野から東京へ、長時間にわたるドライブ。多分疲れ切っていたのもあるのだろう。インタビューのあとはいつもそうであるように、頭の中がざわざわして眠れなかった。かと言って日記も書けないでいた。人の言葉でいっぱいになってしまい、落ち着きがなくなっていたのである。

そうなると、とたんに何もかもに自信がなくなる。自分は時間通り帰りの新幹線に乗れるのだろうか。自分は約束していた時間に家に戻れるのだろうか。自分はのぞみに乗るべきところを間違えてひかりに乗ってしまわないだろうか。今度はそのことで、頭がいっぱいになってしまった。

柳下さんと、京都へ帰るための新幹線に乗り込もうと、東京駅のホームに上がる。
その瞬間、別の新幹線の発車ベルが聴こえて、わたしは「あっ!」と思わずからだを震わせた。チケットを取り出し、そわそわと時計やスマートフォンを確認し、会話に対して上の空な様子を見て、柳下さんが、
「土門さん、落ち着いて」
と言った。

そのとき柳下さんは、なんだか悲しそうな顔をしていた。
わたしはその顔を見て、びっくりした。なぜそんな顔をしているのかわかなかったから。

「大丈夫だから。新幹線くらい乗り遅れたって、死ぬわけじゃない。だから落ち着いて」

そう言われて、最初、柳下さんは怒っているのかと思った。でも怒っているわけじゃなかった。彼はただ淡々と、事実を口にしていただけだった。

「君は、目の前で起こっていることや、目の前で喋っている人の言葉が、頭の中ですぐハウリングしてしまうんだな」

ハウリング
小さなパニック状態にいながらも、この人は本当にうまいことを言うな、と思う。
柳下さんはそんなわたしを正しい新幹線の正しい席まで案内し、窓際に座らせてくれた。
そして、
「コーヒーを飲むかい?」
と言った。

「土門さん。君はもう、立派な大人なんだよ」
柳下さんにそう言われた瞬間、なぜだか急に泣けてきてしまった。


コーヒーを飲むとようやく落ち着き、
「子供の頃からこうなの。年をとっても全然変わらなくて、情けない」
とわたしは言った。すると、
「情けなくなんかないよ」
と柳下さんが即答する。

「でも、すぐに目の前のことでいっぱいになって、自分を見失ってしまう。頼りなくて、不安定で、こういう自分が面倒くさい」

そう言うと、柳下さんは言った。
「不安定だから、君は小説が書けているんじゃないか。
そうやって揺れるから、書くテーマが尽きないんじゃないか」

「そうかな?」
「目の前の言葉でいっぱいになるから、イタコみたいに相手が乗り移ったようなインタビュー記事が書けるんじゃないか」
「そうかな」
「そうだよ」

そして、
「大事なのは、自分がハウリングしやすいということを自覚しておくことだ」
と言った。
「君は変わる必要はない。僕が君に、変わってほしいとお願いしたことがあったかい?」

わたしは首を振る。それを確認すると柳下さんは頷き、
「だからそのままでいい」
と言った。そして、
「だけど君は忘れっぽいから、すぐに僕の言葉も忘れるんだろうなあ」
と付け加えて、笑った。



わたしのタンクの中にはいろいろな言葉が入っては出ていく。
前はそんな穴の空いたタンクが情けなくて、嫌いで、補強しようと必死だったけれど、最近それを認めることができるようになってきた。多分もう、変わらない。

今はそんなタンクを携えつつ、人の言葉をハウリングするだけではなく、自ら歌をかなでる力を持つタンクになれたらいい、と思う。
そういう意味では、すぐ空っぽになるタンクも悪くないのかもしれない。
空っぽだからこそ、そこに何かを入れることができるし、生み出そうとすることができるんだから。
そう思えるようになったのは、大きな進歩だと思う。

「不安定だから、君は小説が書けているんじゃないか。
そうやって揺れるから、書くテーマが尽きないんじゃないか。
目の前の言葉でいっぱいになるから、イタコみたいに相手が乗り移ったようなインタビュー記事が書けるんじゃないか」

君はもう立派な大人なんだよ、というのは、それをちゃんと自覚してわかっていなさい、ということなのかもしれない。自覚もしないで、支配されてはだめだと。

それにしても、あんなに悲しそうな柳下さんの顔は、見たことがなかったなあ。