文章に必要な「水分」と「油分」

30歳を過ぎてから肌質が変わった。
前にもここに書いたけれど、そのころ、極端に肌が荒れた。あれは本当に悲しかった。皮膚科に行って強い薬をもらってなんとか治したけど、すぐに再発するので参ってしまった。あれこれ試行錯誤した結果、おそらくこれだという原因がわかった。それは水分と油分の不足。若い頃には過剰な油分こそが肌荒れの原因だったのに、今度は少ない油分が原因だという。歳をとると油が抜けるから補えと。要はバランスだということだ。結局、スクワランオイルと保湿ジェルを使い始めたら肌荒れが落ちついた。今もそのふたつは手放せない。

それからことあるごとに、水分と油分について考える日々である。みずみずしさと、つややかさ。そのふたつがなくなると、かたくこわばってしまう。それは肌だけではなく、いろいろなことに当てはまる。たとえば文章。文章を書くのにも、水分と油分は欠かせない。

では水分と油分というのはなんなんだろうと考えると、水分というのは文字通り「水」で、油分というのは「火」だということを思った。つまり、循環と熱である。「水(循環)」だけだと流れるだけであとに残らない文章になってしまうし、「油(熱)」だけだとねっとりとしたひとりよがりな文章になってしまう。だから両方がいる。そのように思う。

ところでわたしは今、締め切りがやばいことになっている。締め切りというのは厄介だ。それまでに終わらせようとスケジューリングして、いざ時間を確保して机に座っても、書けないというときがどうしてもある。やれば終わる、というのはもちろんその通りだが、予定通りに進捗する、ということはなかなかありえない。書けないものは書けないからだ。あるいは書けても納得いかないからだ。じゃあなんで納得したものが書けないかというと、水分か油分のどっちか、あるいはどちらもが足りていないことが多い。

これまでに柳下さんに言われたことで、できていないことがひとつある。それは、「二週間に一度、平日に休みをとること」だ。今年の始めあたりにそれを言われたが、いまだにできないでいる。なぜなら締め切りがあるからである。休んでいる暇はない。
だけど柳下さんは、
「このままだと集中力の質が低下したまま進むことになる」
と言った。
「二週間に一度、できたら一週間に一度、完全オフラインになる時間が君には必要だ。なんでもいい。プールでぷかぷか浮かぶでもいいし、映画館でぼーっと映画を観るでもいいし、ひたすら眠るでもいい。そういう時間を持つことが、結果的に君の書く時間を良いものにして延ばしてくれる」

その言葉を思い出すのは、決まって締め切りに追われているときだ。
追われるように書いていると、自分の頭から、目から、手から、水分と油分が抜けていくのを感じる。かたくこわばった地面からは、なんにも出てこない。ああ、休みが必要だなと思う。水分と油分を取り戻すために。わたしの書く時間にそれらを染み込ませ、良いものにしてこねて延ばすために。

今は少しだけ仮眠する勇気を身につけた。眠ると、少しだけ水分と油分が戻っているのがわかるのだ。

みずみずしさとつややかさを堪えた文章。そういう文章が書けたらいいなと思う。かぴかぴに乾いたら、休もう。とりあえず。

ちなみに今は、水分も油分も足りていない。それなのでこれ以上はもう書けない。
今のわたしには、少しの休みが必要かもしれない。