柳下さんが死んだ。

畏友・小倉ヒラクは謎の人だ。

肩書は「発酵デザイナー」と公称されるが、彼はまた、思想家でもあり、研究者でもあり、文章家でもあり、またとても現代的な社会学者のようにも見える。いつも思索の内に自在に遊んでいる。

職能から小倉ヒラクを理解しようとするなら、さらに全容は見えなくなる。
デザイナーであることはもちろんのこと、その内容はエディトリアル・グラフィック・空間など、かなり範囲は広く、さらに編集者・アニメーター・イラストレーター・プロデューサー・アートディレクター・クリエイティブディレクター・コピーライターなども、(僕の目からは)飄飄とこなしているように思える。
そして、乞われる仕事はしない。聖俗を併せ持つ不思議な個人だ。

彼はまた、すぐれた弁士でもある。
頭は回る、舌は引かない。しかし、論破よりも対話を好み、相手との化学反応を常に待っている。
大勢を前に話しても、酒席を囲んで話しても、彼の論理は揺るがない。

このような才能に対して、友情を担保に寄稿を頼めば、忙中の(この単語は陳腐だ。おそらく、僕の想像の七倍は多忙であろう)彼は、本稿を送ってくれた。
しかして、拝読、まさに驚いた。それは、エッセイではなく、狂気の小説だったからだ。

視点が入れ子になり、狂気と常軌が錯綜する。
偉才の異彩を楽しんでいただきたい。

 
*****



柳下さんが死んだ。
京都、先斗町の路地裏の暗がりで、柳下さんの亡骸が静かに雨に濡れていたと言う。死因は刺殺。みぞおちあたりに深々と万年筆の先端が突き刺さり、苦悶の表情のうちに息を引き取ったそうだ。

僕は柳下さんのことを直接知っているわけではないが、彼のファンだった。
校閲者としての精緻な仕事ぶり、書店プロデューサーとしての豪腕、そして編集者としての深い教養とユーモア。ここ数年、私の人生のお手本として尊敬していた人物だった。その柳下さんが、あのまばゆいばかりの才能が突如失われてしまっただなんて。

突然の訃報にふさぎ込んでいた僕に、ある夜一本の電話がかかってきた。

「もしもし、土門蘭さんですね?」

なんだこんな気が滅入る夜に、間違い電話なんて。

「いえ、私は土門ではありません。人違いですよ」

「ごまかしてもムダですよ。私はあなたが土門蘭だって知っているんです」

「何を根拠に。そもそも一体あなたは誰なんです?」

「私は柳下恭平です。あなたの担当編集者です」

「何をバカな。柳下恭平は先週末に死んだのです。京都の先斗町です」

僕は知らないうちに寝てしまって、悪夢を見ているのかもしれない。
そう思って頬をつねってみても、どうやら現実のようだ。

「実は死んだのは僕ではありません。あれは僕を社会的に抹殺しようとする謀略なのです。僕はまだ生きています。」

なんだって?この電話主はアタマがいかれてるんじゃないのだろうか。ちょっとからかってみてやろうか。

「なるほど。柳下さんは社会的に殺された。それは誰の謀略なのですか?」

「小倉ヒラクという男です。あなたの親友のはずです。もちろんご存知でしょう、土門さん?」

小倉ヒラクとはつまり僕のことだ。
僕が謀略を図った…?そんなことがあるはずがない。
だいたい僕は土門さんとは懇意ではない。あまりの混乱にしばらく言葉を返せないでいると、柳下さんは焦ったような声でこう言った。

「土門さんにお願いがあります。事件以降姿をくらました小倉ヒラクを見つけ出してほしい。彼を見つけ出して裁かない限りは、私は世間に姿をあらわすことができません。お願いです…!」

ツーツーツー。
電話が切れた。

   ☆

翌朝、僕は京都の街に出て、まず土門さんを探すことにした。
僕は土門さんの親友でもなんでもない。ただの赤の他人だ。しかし昨日の電話のことを土門さんに伝えなければいけない。
僕小倉ヒラクは土門さんに会わなければいけないのだ。

僕は町に出て土門さんのことを訪ねてまわった。出版社やギャラリー、カフェをまわって土門さんの消息を追いかけた。

「そういえばここ最近土門さんの顔を見ない」

「三日前にコーヒーを飲みに来ていたよ」

「前に会った時に、ついに私の最高傑作が完成しそうだと目を輝かしていた」

「こないだ見かけた時に、もう私は作家として才能がないのだといって意気消沈していた」

など、誰に聞いてもバラバラの答えが帰ってくる。
土門さんの痕跡が残っていそうな場所を片っ端からまわり、僕は土門さんの様々なことを知った。

土門さんは、小さい頃から小説家になりたかった。
土門さんは、しかしなかなか好機に恵まれず、三十歳になる頃までずっと会社勤めをしながら悶々としていた。
土門さんは、その才能を柳下さんに見出された。
土門さんは、パイナップルが好きだ。
土門さんは、映画館でビニール袋をカシャカシャと触る人間が大嫌いだ。
土門さんは、ブログを書いていた。

そのブログの名は「柳下さん死なないで」というタイトルだ。
最新の更新は昨日。「柳下さんはまだ死んでいない」というエントリーを更新している。

…そうか、わかった!
ブログのIPアドレスをたどれば、土門さんの居場所をつきとめることができる。
はてなブックマークでエンジニアとして働き、生来粘着ストーカー気質の僕としては造作もないことだ。

アドレスを割り出した結果、どうやら土門さんは上賀茂神社からブログを更新していることがわかった。
上賀茂神社近くに張り込んで、土門さんを尾行するのだ。

   ☆

土門さんは髪の毛を真ん中分けにした、細いフレームの眼鏡の繊細そうな人物だった。
線の細い男性のようにも大柄な女性のようにも見える。

朝の日がすっかり登りきった午前9時頃、土門さんは上賀茂神社すぐ横の小さな町家の引き戸を開け、路地をすたすたと歩いていった。鴨川の川岸でじっと考え事をしたり、落ち葉を拾ってじっと見ていたり、ベンチに座ってメモ帳を取り出して何かを熱心に書き付けていたかと思ったらまたすたすたと路地を歩いていく。そして午前中いっぱい京都の街を歩き回ると、そのまま姿を見失ってしまった。

そして翌日。いつの間にか上賀茂神社脇の町家に戻った土門さんはまた気ままな徘徊を続ける。
毎日違うコース、毎日違う支離滅裂な行動。土門さんはいったい何をしているのだろうか。

尾行を始めてから11日経った時点で、僕はすっかり混乱してしまった。
意を決して、僕は土門さんが座るベンチの隣に偶然を装って腰掛け、土門に声をかけた。

「もうすぐ春ですね。ふきのとうが芽吹く季節です」

「私は、世界を構成する最小原理を探しているのです」

と土門さんは唐突に語りだした。

「分子のなかに原子があり、そのなかに中性子と陽子があります。さらにその中に素粒子があると言われています。素粒子の小ささは人間には理解不能です。つまり大きさや質量といった概念が崩壊しているのです。それはつまり形而上学的な概念、つまり文字であると言えないでしょうか。『ふ』という文字には大きさにも質量もありません。しかし『き』『の』『と』『う』という他の文字と連結することで、私たちが手にとって味わうことのできる存在になるのです。つまり世界の最小単位は文字なのです。私は小説家です。私はそのようにして春を歌うのです。私の物語は世界を語るためのものではありません。世界を分解して質量を解体するためにあるのです。全てのものが重力から開放され、言語の粒子として自由に歌い、踊る。私はそのようにして世界を祝うのです。私はそのようにして…」

土門さんは鴨川を数秒間鴨川の水面のきらめきを見つめ、言った。

「柳下さんを殺したのです」

そしてふうっと息を吐くと、僕の眼の前の空間がブナシメジのように歪み、月の満ち欠けにあわせて呼吸する白亜の海岸の潮にのように引き裂かれ、土門さんの分子構造が頭頂からつま先にかけてゆっくりとほどかれ、原子は六次元スチルポットによって蒸留され、中性子は天使に、陽子は悪魔に姿を変え、黙示録的賛美歌を歌いながら消滅した。歪んだ空間の先っぽからニュッと生えてきた蛇口をひねると新鮮なミルクが出てきたので美味しくいただきました。

   ☆

土門さんはこのようにして消滅した。永遠に。
僕は土門さんの足跡を辿ってみることにした。

一日目、上賀茂神社から鴨川沿いを南東に歩き、出町柳あたりから真南に錦市場を向かい、そこからまた出町柳に引き返し、今度は一乗寺へ。そこで姿を消した。
二日目。鴨川を伝って南西に弧を描くように下り、四条通りを一瞬かすめ東へ、一乗寺のあたりを通り、宝ヶ池公園をアーチを描くように西へと向かい、上賀茂神社の町家へと戻ったきり出てこなくなった。
三日目。上賀茂神社から堀川通りをまっすぐ南下し、京都御所を東に曲がり、岡崎神社あたりで北に曲がり、修学院あたりで姿を消した。

僕は地図を見ながら土門さんの歩いたルートに線を引いていった。
支離滅裂のように見えて、それはアルファベットだった。

一日目は”Y”、二日目は”O”、三日目は”U”だ。
そのようにして11日目までのルートをトレースしていった結果あらわれた文字列は以下のようだ。

YOUCANNOTDI

つまり、YOU CANNOT DIである。
この後に来るアルファベットは…おそらく”E”。

YOU CANNNOT DIE。つまり「死なないで」である。

上賀茂神社からスタートして”E”を描くためのルートは、まず東へ修学院へと向かい一度上賀茂に戻る。そして堀川通を南下し、今出川通の交差点をまた東へ向かい法然院あたりまでいったらまた堀川通まで引き返す。そして南に進み、丸太町通の交差点でまだ東へと向かい、たどり着くのは…大『文字』山だ。

「世界の最小単位は文字なのです」

と土門さんは言った。
僕は走った。京都の街を東へ東へ。鴨川を超えたあたりで、大文字山に”YOU CANNOT DIE”という文字列が燃えているのが見えた。あそこだ。あそこに柳下さんがいるのだ。

僕は走った。しかしいつまで経っても大文字山にたどり着かない。
腹が減った。僕はカレー屋でたらふくスパイス料理を詰め込んだ。それでも腹が減る。天下一品でラーメンとチャーハンセットを瞬時に平らげた。それでも腹が満たされない。茶漬け屋でしば漬けの茶漬けをかきこんだ。僕は走った。それは永遠に近いような時間だった。いつの間にかマッチ棒のように痩せていた僕はぽっちゃり体型になり、真っ直ぐだった髪は波打つ蓬髪となり、靴の底が抜けてビーチサンダルに履き替えた。

そう。僕は柳下さんになっていたのだ。

「はははははははははは!!!!」

と甲高い笑い声をあげながら僕は京都の街を疾走した。

「人生でいちばん大事なものは何か知っているかい?本当の生を味わいたかったら死という炎の向こう側に行けばいいんだよ!世界の最小単位が文字?そうだとしたらこの世界は誤字脱字だらけだ!僕は宇宙という138億ページの本の隅から隅までくまなく校閲したい!それはなぜか?それこそが死の超越であり、永遠の生という名の落丁なんだよ!!はは、はははははは!!!」

気がついたら真っ白な空間に浮かぶキューブ状の部屋の前に立っていた。
僕は扉をノックした。中から声がした。

「ヒラク君だね?よくこの場所がわかったね。僕を殺しにきたんだろう?」

「君は間違っている。360°間違っている。君は柳下さんではない。柳下さんは僕だ。」

扉が開いた。そこに立っていたのは、痩せぎすで神経質そうな男。小倉ヒラクだった。
柳下さんでありヒラク君でもある僕は、ヒラク君である柳下さんである人物に体当たりを喰らわせようとした。しかしそれは素粒子という名の言語の霧でしかなかった。僕は部屋の真ん中に倒れ込んだ。顔を上げると、そこには小さな机とイスがあり、そこで土門さんがラップトップのキーボードを叩いていた。

「あは、あははははhahaくぁwせdrftgyふじこlp!!!」

僕は涙を流したまま高笑いしながら持っていた万年筆で土門さんの首筋をブスリと刺した。首筋から赤いランダム文字列を噴水のように吹き出しながら、土門さんはどさりと倒れた。

ぜえぜえと息を切らしながら僕は呆然とラップトップの画面を見つめた。
画面には書き途中のブログ記事が映っていた。その冒頭にはこう書かれていた。

「柳下さん死なないで」


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