あの山のてっぺんからの風景を

批評家であり随筆家である若松英輔さんが、以前以下の文章をTwitterに投稿していた。

「文章を書くとき、最も重要なのは主題と文体の発見だ。真に探求せずにはいられないという問題に出会い、それにふさわしい言葉の態度、すなわち文体を見出すことさえできれば、文章は自ずと、ある強度で書けるようになる。それ以前にいわゆる『書き方』を身につけても、実はあまり役に立たない」

主題と文体の発見。
それを読んだとき、『経営者の孤独』というインタビュー連載を始めたときのことを思い出した。


『BAMP』というウェブメディアで、今年の夏から『経営者の孤独』というインタビュー連載を担当している。文字通り、経営者の方に孤独についてお話していただき、それをわたしが書くという連載だが、まずぶつかった壁が、この「主題と文体」の模索だったように思う。

『経営者の孤独』という企画自体に「これだ!」と思うものを強く感じ、書かせてもらうことになったものの、そのときにあるのは「これを書くことができたら、何か大事なことがわかる」という確信だけだった。
でもそれが何かはわからない。もっとも、最初からわかるのであれば書く必要はないのだから、わからなくていいのだと思う。
ただ、何を自分がわかりたいと思っているのかを言語化することだけは、最初にしておかないといけないということは知っていた。なぜなら、インタビューは相手の方に協力してもらうものだからだ。目的も何もなくぼんやり行ってしまったら、無駄に相手の方の労力と時間を奪うことになってしまう。それは、インタビューを何度も繰り返すたび、自然と身についたわたしなりの最低限の礼儀だった。

「何が知りたいの?」
つまりそれが、自分の書きたいことだ。

それはあくまで自分本位でいい。というか、自分本位のほうが熱意が高まるので、自分本位のほうがいい。自分みたいな読者というのは絶対に存在するから、必ずそれは誰かに喜ばれる記事になる。だから、「何が知りたいの?」は誰かに了承を得るために設定するものではない。
ただ、その「何が知りたいの?」をきちんと言語化しておくことで、たどり着くべきゴールがわかる、というのが重要なのだ。ああ、わたしはこの山のてっぺんから見る景色を見たいんだ、という、それがわかること。わたしはその「山のてっぺん」を「主題」だと考えている。山がわかれば、あとはそこをのぼればいい。
そして、その「山のてっぺん」までたどり着くよう、どんなフォームで歩いていくか。重装備でゆっくり行くのか、軽装備でスピーディに行くのか、ひとりで行くのか誰かと行くのか、獣道を行くのか、塗装された道路を車で行くのか……その「スタイル(態度)」が「スタイル(文体)」にあたるのだと思う。

わたしが苦手なのは、この「文体」を見つけることだった。
山まではなんとかわかる。ただ、どのように歩いていけばそのてっぺんにたどり着くのかがいまいちわからない。
おそらくそれには俯瞰する能力というのがいるのだろう。わたしは非常に近視眼的で、目の前の樹々の枝をかき分ける今この瞬間の積み重ねの結果なんとか生きている、みたいなところがあるので、とにかくこの枝をかき分けていけばてっぺんにたどり着くだろうという考えでやってきた。
ただそれだと何がまずいのかというと、「この文体でお願いしますね」と他の方から言われたときに、その文体に寄りすぎてしまって主題を見失ってしまうという現象が起きてしまうのだ。効率が悪いとかいう以前の問題だ。

なんだかわかりにくくなってしまった。
ここでちょっと例えを出そうと思う。

正直に言うと、わたしはデザインを先に見て、そこに文章をはめこむ、という行為が苦手だ。ここにキャッチコピーが入り、ここに見出しと導入文が入り、ここから本文が入ります、他のみなさんはこのように書かれています、というように、デザインや既存の記事を先に見てしまうと、そこから自分がとるべき「スタイル」を設定してしまう。
そして、自分が本当に登りたい「山のてっぺん」を、簡単に見失ってしまうのである。

でも落ち着いて考えてみればそれは当然なことだ。
なぜなら、本来は「あの山のてっぺん」という目的地が先にあり、それに応じてスタイルを選んだり作ったりするのに、先にスタイルを意識してしまったら、「そのスタイルで行ける山のてっぺん」にしか行けなくなる。しかも、実績のあるスタイルを使えば、こんなわたしでもそれなりに登れてそれなりの風景をちゃんと見ることができてしまうので、「あ、自分はこの風景が見たかったのかなぁ」なんて、ほんわりと満足してしまったりする。
そして、自分が本当はどの「山のてっぺん」からの風景を見たかったのかを、なんとなく忘れてしまうのだ。


そうなりがちなわたしを、柳下さんは絶対に見逃さない。
「土門さんは、本当にこの文章が書きたかったの?」
「土門さんは、本当にこの文章が好きなの?」
と、笑顔で問うてくる。

この「山のてっぺん」は、本当に土門さんが行きたかった「山のてっぺん」なの?
そこから見える風景に、君自身は感動しているの?

わたしはそう言われて、ようやく最初に描いていた「山のてっぺん」を思い出す。
あてがわれたスタイルに目がくらんで忘れてしまっていた、本当に行きたい「山のてっぺん」を。

「フォーマット化された作家は作家じゃなくなる。土門蘭は代替できない。そうでしょう?」

そんなことも言われて、自分が「山のてっぺん」を見失っていたばかりかフォーマット化されていたことにもやっと気づいて、今度は愕然とするのだ。

それじゃあ、わたしが書く意味ないじゃない。

そしてまた、汗をかきながら最初から書き直す。土門蘭として書くとはどういうことか、土門蘭が書きたいものは何なのか、もう一度思い出しながら。



『経営者の孤独』の1本目の記事は、本当に苦労した。
最初ははじまりと終わりの部分だけに自分の言葉を挿入していて、記事のほとんどを経営者の方の言葉で構成していたが、柳下さんは
「もっと君の言葉を増やしてみようか」
と言った。

「合間合間に、君が何を感じ、何を思ったかをさしこむんだ。共感したのか、共感できなかったのか。そのとき君にインタビュイーはどのように見えたのか。君の内面の変化も読んでみたい」

そんなに自分を出してもいいのだろうか。
最初はそんなことを思って、おっかなびっくりだった。
自分なんて出さなくても、経営者の方の言葉だけで十分強い記事だったから。

だけどだんだん自分の言葉を記事中に増やしていくうちに、この『経営者の孤独』という記事が通常のインタビューから逸脱し、徐々にわたしと経営者の対話のようなものへと変わっていくのがわかった。
文体が変わった、と、自覚できた瞬間だった。

できあがった記事を読み、この文体でしかたどり着けなかったところに行けたと思った。わたしは純粋に嬉しかった。これが見たかったんだと思ったから。

柳下さんは記事を読み、
「すごくいいね!」
と言った。
そして「君はどう思う?」と。

「自分でも、すごく好きな文章が書けたと思う」
そう答えると、柳下さんは「よかった」と言った。

「僕は、君の書く君の文章が好きなんだ」



「連載はおもしろい。理由のひとつに『だんだん文体が定まっていく』というものがあります。3人の経営者をインタビューして、『主観と客観の距離を較正しながら、テーマを掘り下げていく』という土門さんのスタイルが固まってきました。いいぞいいぞ

これは、『経営者の孤独』について書いた柳下さんのTwitterだ。
「主観と客観の距離を較正しながら、テーマを掘り下げていく」
わたしが書いてきたのはそういう文体だったのか、と読みながら感心してしまう。

やっぱりわたしは、がむしゃらに樹々の枝をかき分けるしかできない。
だけど今は、編集者である柳下さんが、何度もわたしに確認してくれる。

登りたい山はなに?
どこからの風景を見たいの?

その「山に登る」ということが、「文章を書く」ということなのだと思う。
そして、一緒に山を登ってくれるのが編集者なのかもしれない。
自分が見たいと思っている風景を、一緒に見たがってくれている人。

柳下さんは、わたしに好きに書かせてくれる人だ。
そして、「好きに書く」ということがとても難しく体力がいることだと教えてくれたのも、やっぱり柳下さんだ。

だけど、登りたい山に登れたときは、本当に心から嬉しい。


書いているときは自由だ。
手とペンさえあれば、わたしはどこへでも行ける。

こどものころに感じたその喜びを、わたしはまた、改めて思い出している。
おとなになった今は土と汗まみれの手と顔で、ぜいぜい肩で息をしながらだけど。