「自分のことを好きな女の子」の話

「ねえ、土門さん。君の書いている『柳下さん死なないで』だけどさ、もっと他に書くべきことがあるんじゃないかと思うんだ」
と、柳下さんに言われた。

「それって例えばどんなこと?」
そう尋ねたら
「例えば、僕がどれだけ陽気でポップな人間かということだとかさ。いっぱい書くことあるでしょう? 僕が今までどれだけ君を小粋なジョークで笑わせてきたと思っているんだい?」
と言う。

「陽気でポップ……小粋なジョーク……」
わたしが考え込んでいると、柳下さんはしびれを切らしたのか、
「僕はあのブログでモテたいんだよ」
と、きっぱり言った。
「えっ、モテたいの?」
「モテたいさ!」
そうだったのか……とわたしは驚いて柳下さんの顔を見つめる。柳下さんは真面目な顔で指を組み、こう続ける。

「このブログは、僕をこわい人みたいに書いている」
「そうかな?」
「そうさ。このブログには、ちっとも僕がモテる要素がないんだ」
「そうかな……」

「だから、モテるようなことを書いてほしい」
柳下さんは、実に堂々とした顔で、そう言うのだった。


でも、こう言うのもなんだけど、柳下さんはモテる人だと思う。
お風呂に入らなかったり、服を着替えないこともあるけれど、足元がビーサンだったり海パンを履いてたり、バッグがIKEAのあの青いやつだったりすることもあるけれど、でも、モテるように思う。

どうモテるのか、なぜモテるのかはまた今度書くとして、今回は柳下さんと付き合った女の子はみんな、化粧をしなくなるらしい、ということについて書きたい。


「僕と付き合った女の子はみんな、化粧をしなくなるんだ」
と、いつだったか柳下さんは言っていた。

「それ、どういうこと?」
と聞いたら、
「素顔でいることをためらわなくなる」
と言う。
「僕と付き合った女の子は、肌もきれいになるんだよ」
柳下さんは自慢ぶるでも冗談ぶるでもなく、事実をただ語るかのようにそう言った。


昨年の夏とか秋とか、それくらいの時期だったろうか。
わたしの肌がボロボロに荒れたときがあった。

本格的に書き仕事を始めるようになって、家族との折り合いがつかなくなったり、プレッシャーに押しつぶされそうになったり、まあとにかくいろんなことが重なって、すごくストレスにさらされていたんだと思う。

肌に良いとされることをいろいろとやってみたけどだめだった。
化粧で隠すしかなくて、でも隠しきれなくて、毎朝鏡を見るのが苦痛だった。

肌荒れがピークのときに、柳下さんと車に乗る機会があった。
見られるのがいやだなと思うと、どうしても厚化粧になる。厚化粧になればなるほど目立ってしまうのだが、化粧を薄くする勇気はなかった。

打ち合わせか何かで会ったのだと思うのだが、柳下さんはわたしの顔を見るなりこう言った。
「今から銭湯に行こう!」

「銭湯?」
驚いて、そう聞き返す。
「そう、銭湯。と言っても別に、銭湯に入ることが大事なんじゃない。ただ、君は今すぐ化粧を落とすべきだ。そして、からだをあっためるべきだ。だから、銭湯に行こう」
「今から?」
「今から」

わたしは反射的に
「いやだ!」
と言った。
「化粧落としたくない。いやだ」

そのときのわたしは、ほとんど泣きそうだった。
肌が荒れてるのも悲しかったけれど、自分がこんなにストレスを感じているのだということを見せてしまっているのが悲しくて、車の助手席でずっと窓のほうを向いていた。見ないふりをしてくれたらよかったのに、どうしてそうしてくれないんだろう?と、憎らしくも思った。

「僕は、今の君の素顔を見てもなんとも思わないよ。むしろ、化粧で隠されているほうがいやなんだ。だってなんだか苦しいもの」
柳下さんは本当に苦しそうな顔をした。そして、だから銭湯に行こう、と言い続けた。僕のことは気にせず入ってきていいから、君だけ入ってきたらいいし僕は外で待っているから、と根気強く。

「柳下さんは構わなくても、わたしが構うの。それに、化粧落としも化粧水も持ってきてないし、乾燥したらまたもっとひどくなるから、絶対いやだ」

そう言うと柳下さんは
「ああ、そうか。僕は、肌の乾燥のことまで考えられていなかったな……」
とつぶやいた。そして、
「ごめんね。銭湯は、また今度にしよう」
と言い、前を向いて車を運転し続けた。それからはわたしの肌のことには触れず、わたしのほうは見ないでいてくれていた。


「今から銭湯に行こう!」
今思い出すと笑ってしまう。肌荒れで落ち込んでいる女性に、そんなことを言う人がいるだろうか?

何てことを言うんだろうとあのときは驚いて、全力で拒否したし腹も立った。見て見ぬふりをしていてほしかったし、もし気づいたとしても「すぐに治るよ」とかなんとか、適当なことを言って放っておいてほしかった。

だけど、柳下さんはそういうことをしなかった。
まっすぐに顔を覗き込んで、今すぐ化粧を落としておいでと言った。
それでからだをあっためてこいと。

家に帰って化粧を落としながら、
「こんな顔見せられるわけないじゃん」
と思った。
でも、心のどこかでは、やっぱり嬉しかった。

彼はわたしの見栄やプライドよりも、わたしの肌やからだを心配していた。
より奥の、より深いところを癒そうとするから、どうしても表面を壊したりはがしたりしないといけない。
だから、とてもこわいことでもある。本当の自分をさらけ出さないといけないから。ボロボロの肌も、ボロボロの心も、全部見せないといけないから。

だけど、もしかしたら、あのときの柳下さんはわたしよりもずっとわたしに優しかったのかもしれない。自分の肌荒れや自分のストレスが受け入れられないわたしよりも、ずっとわたしに優しいのかもしれない。

お風呂につかりながら、そんなことを思った。



「柳下さんってどんな女の子が好きなの? 見た目のタイプとかあるの?」
一度、柳下さんにそう尋ねたことがある。柳下さんはそのとき、
「見た目のタイプなんか、全然ないよ。だって女の子はみんなかわいいもの」
と即答した。

「太っていようが、やせていようが、年上だろうが年下だろうが、全然関係ない。女の子は、みんなかわいい。みんな魅力的だよ、本当に」

「でも、こんな性格の子が好きとかはあるでしょう? それもない?」
そう聞くと柳下さんは考え込んで、
「そうだな。強いて言うなら、『自分のことを好きな女の子』かな」
と言った。

「自分のことを好きな女の子?」
「そう。自分自身をちゃんと好きでいる女の子」


多分、柳下さんがモテる理由を挙げるとしたら、そのうちのひとつがこれだと思う。
そして、柳下さんと付き合った女の子が化粧をしなくなって、素顔でいるようになる理由も、これだと思う。
柳下さんといると、必然的に「自分自身」にならねばならず、受け入れざるをえなくなるのだ。
それはとてもこわいことだけれど、嬉しいことでもある。そして何より、気持ちのいいことでもある。

「君は今すぐ化粧を落とすべきだ。そして、からだをあっためるべきだよ」

自分自身を大切にしてほしいと、柳下さんは言い続ける。
化粧を落とし、からだをあたため、僕の前ではすっぴんでいていいのだと言い続ける。
そんなことを言い続けられていたら、そりゃあ肌だってきれいになるだろう。


良く見せないと、良く見せないと、と思いすぎていたのだ、あのころのわたしは。
それは今の自分を「良くない」と否定し、隠していることと同義で、だから本当につらかった。

「女の子のからだは、心とダイレクトにつながっているから」

運転席で遠慮がちにそうつぶやいた柳下さんの言葉に、なんだか泣けてきてしまったのを覚えている。


柳下さんの言う『自分のことを好きな女の子』というのは、自分に自信があるという意味ではないんだろうなと思う。

肌が荒れたときにはきちんと化粧を落として、からだをあっためられる女の子。
そういうふうに、自分で自分を大事にできる女の子なんだろう。多分。