「君は原稿製造機じゃないんだから」

小説の改稿に加え、インタビューや記事執筆で忙しかった7月の終わり頃。

ふと柳下さんから電話がかかってきてこのように言われた。
「一週間に一度、平日に完全オフの日を作ってみてはどうだろう」
え?と思わず聞き返す。これからフルエンジンで書いていかないとと思っていたので本当に驚いた。
「完全オフ?」
「そう。たとえば、プールに行って泳いでみるとか。気持ちがいいよ、水に浮くのは」
「プール?」
「うん。まあ、プールが大事なんじゃなくて、要は何も考えないでいられる時間が君には必要なんじゃないかなって」

君の予定を考えたらまったくロジカルじゃないんだけどね、と彼は言った。
「でも、稼働すればその分だけ書けるというわけでもないでしょう? だって君は、原稿製造機じゃないんだから」

少しの間を置いて、「うん」とわたしは返す。
うん、わたしは、原稿製造機じゃない。

だけど、それ以上何か言おうとすると泣きそうになったので、声が震えないように気をつけながら言った。
「ありがとう。プール、行ってみる」
柳下さんは「そうだね、プールはいいよ」と言った。
「身体性って、とても大事。そのことをいつも忘れないようにね」


わたしが今書いている『戦争と五人の女』という小説は、五人の女がそれぞれ主人公の5章で成り立っている。
そのこと自体は、かなり初めの方から決まっていて、わたしはそのうちのひとり、自分ともっとも歳の近い女から書き始めた。

最初は、キーボードで書いていた。
自分のなかにあるイメージを、どんどん文字にして書き付けていく。だけど、少し進むとすぐに手が止まってしまう。そのたびにまた初めから書き直したり、違う人物から書いてみるよう変更したりした。だけど、どうしても途中で手が止まってしまうのだった。

書き進めていくうちに、世界のピントがどんどん合わなくなってくる感じ。
遠近感も解像度も曖昧なので、自分がどこをどう歩いているのかわからない。
それでいつも途方にくれる。
わたしはすっかり書きあぐねていた。

そんなある日、柳下さんがこう言った。
「あのね、提案があるんだけど、一度、小説を手で書いてみてはどうかなと思うんだ」

そして、まだ確証はないけれど、と前置きをしてから
「新しい小説を書くとき、初めは手で書くのがいいのかもしれないなって思ったんだ。つまり、思考の速度と手の動きの速度を合わせるということが、大事なのかもしれないなって」
と言った。

それを聞いて思い出したのだが、わたしはそれまでに書いた三つの小説すべて、手でまずは書いていたのだ。手でノートに書き付けていき、手が執筆の速度に追いつかなくなったときにキーボードに切り替える。
夏目漱石だって、手書きだったでしょう? だからそのやり方に合わせてみようって思いついて、昔。もちろん、漱石っていうのはメタファーだよ、創作の……」
なんとなくそう弁解しながらノートを見せると、彼は
「すごいな! 君はずっと手で書いていたのか!」
と、とても喜んだ。
「今、ハレルヤと言って、裸で走り回りたいほど嬉しいよ」
そう言われて、わたしは笑った。
彼は、わたしがどうしたら書けるのか、いつも真剣に考えているのだ。


「そうだね。君の言うとおり、夏目漱石も、平塚らいてうも、手書きで作品を書いていた。人間が手で文字を書くときの速度が、もしかしたら作品を生み出すときに良い速度なのかも。キーボードは速すぎるのかもしれない」
「考える速度と書く速度が、合っていなかったのか」
「うん。だから、車から降りて、歩き出す感じかな」
「肉体労働だね」
「そう、肉体労働。つまり文士だ」
勇ましくていいよね、と柳下さんは言った。


それから柳下さんはまず、
「五人の女の、イメージカラーを教えて」
と尋ねた。
わたしは、オレンジ、黄色、紫、紺色、赤と答える。
そうしたら次に会ったときに、彼はノートを用意してくれていた。モレスキンの、シンプルな、うすくて美しいノート。

そして、ばらばらとペンを五本くらいテーブルの上に転がした。
「君は、どのペンが書きやすいだろう?」
万年筆、ボールペン、シャープペンシル。それぞれ太さや書き心地が違う。

わたしは五本のペンでそれぞれ「あいうえお」と書いてみた。そしてその中からラミーのシャープペンシルを選んだ。それは柔らかな黒色で、まるみを帯びていて、すっとわたしの手になじんだ。
「これにする」
と言うと、柳下さんは
「どうぞ」
と答えた。
「このシャープペンシル、すごく書きやすいね。持った感じが柔らかくて、芯が太くて。それにシャープペンシルだと、間違えても構わないっていう気がして、強気でどんどん書ける気がする」
「それはよかった」
柳下さんは微笑んだ。
「こういうのって、大事だよね。つまり、身体性をおろそかにしないっていうことだけど」


それからわたしは、いつもそのノートとシャープペンシルを持ち歩いた。
外に出かけるときも、リビングで家事をしているときも、寝室で眠るときも。
ノートパソコンと比べて、さっと開けばそこに小説の続きが書けるというのはよかった。以前よりもずっと小説に近いような、ひとりひとりの女が自分のそばにずっといて、いつでも彼女に触れるような、そんな気分だった。



「プール、すごく楽しいよ」
このあいだ柳下さんに電話でそう言うと、
「そうでしょう? 水に浮かぶのは気持ちがいいよね」
と言った。
「うん、それをとても久しぶりに思い出した」
「そうか。それはよかった」

繰り返し、柳下さんは言う。
「身体性を、忘れないでね」
うん、とわたしは答える。これまでに何度も言われてきた言葉だ。
「フィジカルとメンタルは裏で繋がっているからね」


プールで泳いで、久々にわたしは自分の身体を思い出した。
誰にも触れていない、何にも依っていない、水の中で浮かぶ一個の肉体。

泳いでいると酸素が足りなくなって、言葉がひとつも浮かばなくなる瞬間がある。
そのたびに、「ああ、身体が言葉を産んでいるんだな」と思い知るのだ。
生きている身体が、日々年老いて変化している身体が、新しい言葉を産み出している。


「だって君は原稿製造機じゃないんだから」
あのときこう言われて喜んだのは、わたしの身体だった。

だってわたしは、人間なのだから。
この身体で、ものを書いているのだから。