『柳下さん死なないで』を引っ越しました

今後はこちらに書いてまいります。

https://note.mu/yorusube/n/n198745cccfd7
土門蘭のnoteにアップされていきますので、よかったら引き続き読んでみてください。



【告知】
さて、これまで4のつく日に更新してきた『柳下さん死なないで』。

来る2019年12月8日、そんな柳下さんとトークイベントをします。

10月に出た長編小説『戦争と五人の女』、初の刊行記念イベントです。
京都四条烏丸にあるハミングバードブックシェルフさんにて、担当編集の柳下さんと、ハミング店長の山下さんと3人でお話します。

この小説がどういうふうにできたのかや、ふたりで立ち上げた出版社・文鳥社についてなど、いろいろな話を交えながら、まだお読みでない方にも何かを持ち帰っていただけるような時間にできたらなと思います。

京都で出版記念イベントをさせていただくのは、これが初めて。
自分の住んでいる街だからこそ、とてもどきどきします。

絶賛受付中。きっと楽しい時間になるので、ぜひ遊びに来てください。

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□ 内容
+ テーマ「土門蘭・柳下恭平による対談トークイベント、サイン会」
12/8(日) 17:00(開場16:30〜)
 
+対象:対象書籍をお持ちの方(当日購入可。他店で既に書籍購入の方も可。)『戦争と五人の女』文鳥社2,200円(税別)
 
+申込方法:店頭、もしくはお電話(075-746-5666)かメール(bookordie@hummingbird-bookshelf.net)にてお申し込みください。

+定員:40名

+場所:HummingBird Bookshelf 四条烏丸店 店内
 
※申し込み時、整理券をお渡しいたします。整理券と書籍をご持参の上、ご参加ください。サイン会はイベント申し込み時の整理券番号順となります。
※メールでのお申し込みの際は、件名「イベント申し込み」、本文「お名前」「ご連絡先」「参加人数」を記入してください。こちらからの返信をもって受付完了と致します。3日いないを目処に返信致します。万が一、返信がない場合は、お電話でご連絡いただきますようお願い致します。
※サイン会のみのご参加はできません。

ゴシップに向いていない人

ある朝起きてインターネットを開くと、蒼井優南海キャンディーズの山ちゃんが結婚したというニュースが目に飛び込んできた。
それを知ったわたしはとても驚いて、すぐに誰かとこの驚きを共有したくなった。こういうとき、自宅でひとりで仕事をしている身のさみしさを感じる。職場に行けば、「聞きました!?蒼井優と山ちゃんが!」「聞いたよー!すごいニュースだね!」と盛り上がれるのに。
わたしは誰かとこのニュースについて語り合いたいとうずうずして、メッセンジャーを開いた。まず目に飛び込んできたのは、直前までやりとりしていた柳下さんのアカウントである。だけどわたしは彼に連絡しなかった。代わりに、気のおけない友人に連絡をした。結果、チャット上で大変盛り上がり、わたしはすっかり満足をして、いつも通り仕事に取り掛かったのだった。

先日、車の中でこの話を柳下さんにしたとき、「ちょっと待って、どうして僕に連絡をくれなかったの!?」と彼はハンドルを握った姿勢でショックを受けていた。
「だって、柳下さんはゴシップに興味がないと思ったから」
と言うと、「そんなことないよ。大いにあるよ!」と言うので、「じゃあ柳下さんは、蒼井優と山ちゃんの結婚について、すごくびっくりした?」と聞いたら、彼はフロントガラスの先を睨んだまま「いや……びっくりは、しなかったな……」とつぶやいた。

ほらね、と言ったら、柳下さんはなぜかすごく焦った様子でこう続けた。
「だって、誰かが誰かを好きになって結婚相手に選ぶなんて、それがどんなふたりであれ十分ありえることでしょう? 蒼井優さんも山ちゃんさんも魅力的なふたりなんだから、ふたりが惹かれ合うのも僕には十分理解できるもの」

「そういうところだと思う」
と、わたしは言った。
「え? なになに? 僕のどういうところがそういうところなの?」
柳下さんはほとんど狼狽している。
「『蒼井優さん』『山ちゃんさん』って、柳下さんは誰にでも『さん』をつけるよね? そういうところがゴシップに向いていないところだと思う。だからわたしは、柳下さんに連絡をしなかったんだよ」
「え? どういうこと? 僕は確かに誰にでも『さん』づけするけど、それがどうしてゴシップに向いていないの?」
ああ、運転に集中できない、と柳下さんは嘆いた。
 

「わたしは蒼井優も山ちゃんも、別世界の人だと思っているのよ。ひとりの『個人』ではなく、『美人女優』と『コメディアン』という概念のような存在だと思っている。だから『さん』づけをしないで呼び捨てにするんだろうし、だからゴシップとして楽しむことができるんだと思う。だけど柳下さんは、ふたりをひとりの『個人』として捉えているでしょう?」
「そうだね。そしていつか、どこかでお会いしたり、一緒に仕事をするかもしれないと思っている。出版にまつわる仕事をしていたらその可能性は十分あるでしょう。だから、呼び捨てにはできないよね」
「そうそう。つまり、別世界の人だとは思っていないんだよね。芸能人だろうが誰だろうが、自分と関わりを持つ可能性のある人だと思っている。だけどゴシップっていうのは、自分と関わりを持たない人の私生活を覗き込んで楽しむものだから、柳下さんにはそれができない」

「そんな……」
と柳下さんは言った。
「自分がゴシップに向いていないなんて、考えたこともなかったよ……」
彼はその事実にショックを受けていたが、わたしも喋りながらショックを受けていた。ゴシップを楽しむ自分の思考回路を改めて言語化すると、なかなかにゲスく小物感がある。


それと同時に、ショックを受けている柳下さんの横で、わたしは大学時代にアルバイトをしていた書店の店長のことを思い出していた。
彼はわたしが出会った中で、3本の指に入る「こわい人」なのだが(そのうちひとりはもちろん柳下さんである)、同時に尊敬すべき人でもあった。わたしは彼に、「プロの書店員」とはどういうものなのかを初めて教わった。 

店長からはたくさんのことを学んだが、そのうちのひとつに、作家に対する態度というのがある。
店長はどの作家にたいしても、必ず『さん』づけをした。「江國さん」「角田さん」「リリーさん」「村上さん(「あ、春樹さん(あるいは「龍さん」)のほうね」と付け加えた)「羽海野さん」「井上さん」「尾田さん」というように。
最初聞いたときは、「え、誰のこと?」と思ったものだ。まるで、お客さんや取引先の方を呼ぶかのように作家を呼ぶ。他の社員さんはそんな呼び方はしなかったので、それは彼特有のものだった。わたしにはそれが、とても印象的だった。

「店長は、誰に対しても『さん』付けをするんですね」
ある日、店長にそう言ったことがある。すると店長はスリップを仕分けする手を止めて、「……そう言えば、そやな」と言った。
「作家さんは、大事な仕事仲間やから。呼び捨てにはできひんやろ」

店長にとって、本を出す作家はれっきとした対等な「仲間」なのだ。だからちゃんと敬称をつける。尊敬と感謝を込めて。それは、自分の仕事を尊重することでもある。
そういう態度は呼び方ひとつにも出るのだな、とわたしは学んだ。



そんな話を柳下さんにしたら、
「いい書店員さんだ」
とハンドルを握りながら言った。
「書店員としての矜持を感じるよね」
わたしも、店長を褒め称える。

「柳下さんも店長も、スターであろうがベストセラー作家であろうが、あらゆる人をいつか自分と関わりを持つかもしれないと思っている。だから敬称をつけるし、『個人』として扱うんだと思う」
「ということは、店長さんもゴシップに向いていないの?」
「うん、向いていない」
「なんだか君の話を聞いていたら、ゴシップに向いていないことがいいことなのか悪いことなのかわからなくなってきたな」

「いいことだよ!」
とわたしは力を込めて言った。

誰かを「違う世界の人」だと思い、そこを覗き見て無責任に騒ぐことは、自分の世界を規定し狭めることに似ている。逆に、誰もを「同じ世界の人」だと思い丁寧に扱うことは、自分の世界を広げることに似ている。

「だから、ゴシップには向いてなくていい。この話をして反省したよ。わたしも今度から全員『さん』付けで呼ぶことにする」

そう言うと柳下さんは笑って、「ゴシップで盛り上がるのも、楽しそうだけどなあ」と言った。

「勇気を伝染させる仕事」

柳下さんはときどき「君に何か本を貸してあげよう」と言って、本を貸してくれる。柳下さんが選ぶ本は小説だったり漫画であったりノンフィクションであったり、多岐に及ぶのだけど、ぱっと見、なぜ彼がこの本を貸してくれたのかわからないことが多い。だけど読み始めると、「ああ、これは自分が今読むべき本だ」ということがわかる。柳下さんは人のために本を選ぶ能力が本当に高いなあと、感心してしまう。

このあいだ貸してもらったのは、メイ・サートンの小説『ミセス・スティーヴンズは人魚の歌を聞く』という本だ。メイ・サートンアメリカの女性の詩人であり小説家。50代のときに同性愛をテーマにした小説を書き、出版社の忠告を振り切って刊行した結果、それが理由で大学の職を失って、本も絶版になった。その後もパートナーとの別れ、病気、作品への酷評から、うつを患うこともあったらしい。
彼女の代表作は、ひとり暮らしの日々を綴った『独り居の日記』。題名だけは聞いたことがあったけれど、わたしはこれまで彼女の本を一冊も読んだことがなかった。だから柳下さんに借りた『ミセス・スティーヴンス……』が、初めて読むメイ・サートンだ。

これは詩人であるミセス・スティーヴンス(以下ヒラリー)と、彼女に詩作について聞こうとする若いインタビュアーふたりの話。わたし自身、創作もすればインタビューもするので、両者のやりとりがとても興味深い。入れ替わり立ち替わり両者の立場に身を置きながら、それぞれの発言を自分に照らし合わせながら読んでいる。

ゆうべ寝る前にこの本を読んでいたら、こんな文章に立ち会った。ヒラリーが、彼女にとっての「ミューズ」のひとりである社会学者のドロシーアについて回想するシーンだ。
彼女たちはふたりとも本を出し、自分の言葉を他人へ伝える作業をしているという点では共通している。だけどその内容は、ヒラリーは詩、ドロシーアは社会学の研究成果と、領域がずいぶん異なっていて、それが理由でふたりの間に摩擦が起きることが多い。

あるときヒラリーは、「わたしがおかす危険のほうが、ずっと大きいわ!」とドロシーアに言う。

「あなたの本みたいなものは、一生懸命、正直に努力さえすれば、失敗なんてありえない、それがわからない? わたしたちは、違う領域で働いているのだから。意志は助けてくれない。知性も助けてはくれないわ」
「何があなたの助けになるの?」ドロシーアは、いつもの皮肉な態度で訊いた。「冷たいシャワーとお酒?」
「神さま、天使さま……ああ、あなたには、わからない」
熱帯の豪雨のように、はげしい嗚咽の発作がふたたびはじまった。これは自信喪失の時代で、ヒラリーは自分が書いたものはことごとく救いがたいほど無価値だと思い込んだ。
引用元:『ミセス・スティーヴンスは人魚の歌を聞く』メイ・サートン 大社淑子訳(みすす書房)

この箇所を読んで、わたしはヒラリーの言葉に共感してしまった。社会学の論文が一概に「一生懸命、正直に努力さえすれば、失敗なんてありえない」のだとは言い切れないけれど、詩作にとっては完全に、作品の質と「正直」「努力」の量は比例しないと言い切れる。「絶対に書き上げるんだ」という意志も、「これまでにこういう経験をしこういう学びを得てきたんだ」という知性も、偶然助けられることはあっても必然的には助けてくれない。ヒラリーが言うように、「神さま」「天使さま」の出現を、ずっと待っているだけなのだ。

ただ、もちろん、「神さま」「天使さま」の出現をただ手をこまねいて待っているだけではだめで、彼らが目の前に現れてくれるためにできることはしなくてはいけない。机に向かうこと、他の作品に触れること、人に触れること、運動をすること、作品のためによかれと思いつくことならなんでもだ。ただ、何をすれば現れてくれるのかわからないから、苦しい。そこに確実性はない。多分詩作をする人に(本当の意味で)できることは、「神さま」「天使さま」が必ず現れると諦めないことしかないのだ、とわたしは思う。



ところでこのあいだ、ある編集者の方と食事をする機会があった。まだ一度しか仕事をしたことがないのだけど、彼の作る雑誌は何度か読んでいて、いつかちゃんとお話がしたいと思っていた。それでせっかくの機会だったので、ずっと訊いてみたかった質問をした。
「あなたにとって、『編集』とはどういう仕事ですか?」
こんなに性急で抽象的でとっかかりもないような質問にも関わらず、彼はほとんど悩まずに回答してくれた。まるで、すでに自分の中でその質疑応答は終えているとでもいうように、
「編集の仕事は、勇気を伝染させることだと思っています」
と彼は言ったのだった。

「絶対にこの作品は良いものになるって、最後まで信じ続けること。その勇気を、作家さん含め関係者全体に伝染させることです。編集者がそれをやらないと、誰がやるんだろうなって思う。極論、編集者の仕事はそれだけなんじゃないかなっていう気もします」

それを聞いて、この彼と同じようなことを言っていた人がいるな、と思った。
無論、柳下さんだ。柳下さんはわたしにこんなことを言ったことがある。
僕にできることは、『君は絶対に良い作品を書く』と信じて言い続けることだけだ」
逆に言えば、編集者にできることなんて、それだけなんだよ、と。



『ミセス・スティーヴンス……』を読んでいて、ふたりのその言葉を思い出した。「勇気を伝染させる」仕事。確かに、その通りだなと思う。わたしは担当編集者である柳下さんに、どれだけ勇気を与えてもらっているかしれない。

「柳下さんって、天使みたいだよね」
昔、わたしは柳下さんにそんなことを言ったことがある。柳下さんは噴き出していたけど、わたしは本気でそう思ったのだ。
「こんなにわたしを励ましながら書かせてくれて、小説の神さまが遣わしてくれた天使みたいだ」
柳下さんは笑いながら「それは光栄だね」と言った。

だけど、多分良い編集者というのは、書く人にとってみな「天使」的な人なんじゃないだろうか。
正直さも努力も、意志も知性も助けてはくれない詩作の世界で、もしかしたら唯一助けてくれるのは「勇気」なのかもしれない。

絶対にこの作品は良いものになる。
そう信じ続ける先にしか、詩作の神さまは現れない。だとしたら、そう信じさせてくれる人が、きっと天使なのだろうと思う。

悪のクリエイティブ

ずっと編註を入れたいと思っていた。

編集されていない情報は、世界に不安と無秩序を生み出す。
それは、とてもよくない。そして、とてもナンセンス。

しかし、節度を持った常識人の僕が、土門さんの創作によって狂人に仕立て上げられるという、この「柳下さん死なないで」という連載では、編集というものはあまりされない。なぜなら、そこに観察者効果が生まれてしまうからだ。

真夜中、山を歩くヤマネコを撮影するには、ストロボを焚かなくてはいけない。
しかし、ストロボが強く光れば、闇を行き交うヤマネコの本来の生態を写し取ることはできない。
このように「観察する」という行為そのものが、観察される対象に影響を与えてしまうというジレンマを、観察者効果という。

担当編集について書かれた文書は、編集された時点で意味を失う。少なくとも変容してしまう。
だから、僕は、この文章にずっと編註を入れたいと思っていた。
せめてそれが、観察者効果を避けるための唯一の編集点で、編集の方法だと思うから。
(僕は狂っていない。狂っているとしたら僕以外のすべてだ)

本来の註というものは、本文の語句や事象に紐づくものだけれど、今回は、2019年8月24日更新分の「柳下さん死なないで」を例にとって、具体としていこうと思う。
編註というよりは、土門さんがいかに偏って僕を見ているかという真実を知るための一助になればいい。

以下、土門蘭の書く、「『自分会議室』と『自分現場』。あるいは『鳥の目』と『人の目』。」を底として、この増補が成り立つ。再読を請う。

youcannotdie.hatenablog.com



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「柳下さんはどんな気持ちで『闇金ウシジマくん』を読むんだろう?」と結ばれたこの文章。よろしい、一度、言語化してみようと思う。

闇金ウシジマくん』を読んで、まず僕は「悪のクリエイティブ」について考えた。そして、比較文学として『不夜城馳星周著(角川書店刊)についても。


まずは「悪のクリエイティブ」とはなにか?
さて、この言葉は、ところで僕の言葉ではない。
畏友・徳谷柿次郎くんの造語を、やや、よそ行きに僕が整えた。
実に彼はすばらしい、詩人かコピーライターのように言葉を選ぶ。

たとえば、この本のこと。
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『レンタルチャイルド―神に弄ばれる貧しき子供たち』石井光太著(新潮社刊)
https://www.shinchosha.co.jp/book/132533/
二〇〇二年、冬。インドの巨大都市ムンバイ。路上にたむろする女乞食は一様に乳飲み子を抱えていた。だが、赤ん坊はマフィアからの「レンタルチャイルド」であり、一層の憐憫を誘うため手足を切断されていたのだ。時を経て成長した幼子らは“路上の悪魔”へと変貌を遂げる――。三度の渡印で見えた貧困の真実と、運命に翻弄されながらも必死に生きる人間の姿を描く衝撃作。
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想像することができるだろうか?
孤児をもらい、その手足を落とし、道に寝かせておくだけで旅行者や市民から、小銭を集めようとすることをビジネスとしてやろうとする、人でなしがいることを。
ビジネスの基本が「下代と上代の差分を取る」という概念なら、彼らは法律の外側で原価ゼロで仕入れをしている。あとは、システムを作るだけだ。
考えただけで気分が悪くなるが、振り込め詐欺なども、組織的に作られた集金装置。
もちろん、それを肯定するつもりはないが、そこには確実に「悪のクリエイティブ」がある。倫理を超えたヘイトの創作。
そこには、我々の想像を超えた「クリエイティブ」がある。
悪にしか成し得ない「悪のクリエイティブ」だ。

併せて『HATE! 真実の敵は憎悪である。』松田行正著(左右社刊)という人間の醜さを教えてくれる本も読めば、ここに引用するのも恐ろしいほどの、人類の醜い歴史を知ることができる。冒頭のクルド人女性兵士のことや、ウクライナユダヤ人大虐殺のことなど、ああ、性善を疑ってしまうほどの人間の悪性。

人間というものには、とても残酷な性根がある。悲しいけれど、それは事実だ。


そして、比較文学について。
真の悪(マフィア・戦争など)というものは、そのまま文学には使いにくい。
我々の属する「表側の世界」(非悪)からすると、極端すぎるからだ。
そこで、ドラマツルギーとして「真の悪」と「非悪」をつなぐ緩衝地帯に属する主人公が必要となる。
それが「ウシジマくん」であり、『不夜城』の主人公「劉健一」である。

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不夜城馳星周角川書店刊)
https://www.kadokawa.co.jp/product/199999344201/
アジア屈指の歓楽街・新宿歌舞伎町の中国人黒社会を器用に生き抜く劉健一。だが、上海マフィアのボスの片腕を殺し逃亡していたかつての相棒・呉富春が町に戻り、事態は変わった――。
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この両作品を比較対象としたのは、構造はとても似ているけれど、フォーカスされた舞台が異なるからだ。
詳述していこう。

真の悪的世界    緩衝地帯     非悪的世界
-----     ウシジマくん   奴隷くん
歌舞伎町      劉健一      -----

両文学は、このようにレイヤーが一層分ズレた構造をしている。
「無抵抗の子どもの手足を切り落とす」なんていう、想像できないほどの残酷さをそのまま描くのではなく、真の悪レイヤーと、我々の非悪レイヤーを結ぶ存在として、ウシジマくんや劉健一が文芸的に配置されている。
真の悪を知らない我々読者からすると、その中間を描いていないと共感ができないからだ。

そのような前提を考えてから、両作品を読んでみると、劉健一が終始緊張しているのと、奴隷くんたちはとてもよく似ている。常に上位レイヤーの「悪性」におびえているのだ。
逆に、ウシジマくんの「うさぎ」や、劉健一の「葉巻」に、下位レイヤーとの強い結びつきを感じる。人間的弱さと言ってもいい。

だから、僕は「奴隷くん」よりも、「ウシジマくん」よりも、それらを包括する全体的な文芸的構造を読むのが好きだ。

大切な情報というものは、何度も口にされるか、まったく触れられないものに含まれている。
闇金ウシジマくん』を読むと「奴隷くん」に感情移入する人が多いような気がするけれど、彼ら、あるいは彼女らは、「ウシジマくん」について、どのように感情移入しているのだろうか?
僕にとって「ウシジマくん」は「奴隷くん」同様に興味深くて、みんなが「ウシジマくん」をどこまで人間的に読んでいるのかを考えてしまう。

それが「自分現場」と「自分会議室」を不可分にしてきた、僕の読み方だと思う。
鳥の目は僕の頭上から、いつも僕を見下ろしていて、僕の人の目はその鳥を、じっと見上げている。

(毎月4日はゲスト更新日です。本稿は柳下が埋めました。あしからず)

書くときに向かうのは、真っ白いキャンバス

書くことが苦しいかと聞かれれば、苦しい。
だけどわたしは書くことがとても好きだと思う。というか、書くことが必要だ。書くことは、狭くちっぽけな自分の部屋の窓を開け放すことに似ている。書くことは、理解できないほど広い青空をひとり見上げることに似ている。書くことは、静かな昼下がりに真っ白いキャンバスに向かうことに似ている。
だからわたしにとって書くことは必要なことであり、大切なことであり、好きなことだ。それは、幼いころからずっと変わらない。

ずっと文章を書いてきた。特にこの3年は、書くことが専業になり、たくさんの文章を書いた。それが仕事だからだし、それが自分にとって必要なことだからだ。「こんなに書いたら書くことが尽きないですか」と聞かれたことがある。わたしは「まだ尽きないです」と答えた。あのときの主語は、「書くこと」ではなく「書きたい気持ち」だったのかもしれないな、と思う。「まだ書きたいことがある」というよりは、「まだ真っ白いキャンバスに向かいたい気持ちがある」という感覚に近い。

色を乗せるのをためらわれるほどの、清潔で美しいキャンバス。そこにふと自分が変化を与えたとき、その点なり線は、急激に目の前で意味を持ち始める。あのときの涙ぐみそうなくらいの興奮を、感じたいなと思う。毎日、毎日、新しく。


最近は、筆が重たかった。1年続けた連載が書籍化され、2年半書き続けていた小説が入稿され、俗に言う「燃え尽き症候群」というものだろうかと思っていたが、どうも違うようだった。というのも、筆が重たくなったほかにもうひとつ変化があって、それはウェブ上の記事が読めなくなった、ということだったからだ。本は読める。でも、ウェブの記事が読めない。なぜなのだろう、と考えて、多分、ウェブの記事はSNSと有線で繋がっているからだろうなと思った。大抵の場合、SNSからのリンクでその記事にたどり着くので、その記事がどういうふうに人に受け入れられどう評価されているのかが、読む前にわかってしまう。「ああ、こういう書き方をするとこういう受け取られ方をするのか」そんなふうに読んでしまっている自分に気づき、これは良くないと思った。読むときに内面化された「人の目」は、書くときにももちろん内面化される。その「人の目」が増えれば増えるほど、自分の筆が重たくなるのは当然だった。

なんとなくだが、最近はそんなふうに、筆が重くなったり書くことに疲れている同業の方が、少しずつ増えている気もしていた。いや、そもそもそういう人は少なからずいたのかもしれない。自分が疲れていると、周りの人の疲れにも敏感になるものだ。

わたしは苛立っていた。文章を書こうとすると、「人の目」の存在が気になる。そんな「人の目」を考えなしに呼び入れ、さらに増殖させ、疲れている自分に苛立っていた。それで、「なんだかわたしは最近苛ついていて」と、柳下さんに話した。

それは、喫茶店でお茶を飲んでいるときだった。唐突にそう話し出したわたしを、柳下さんはおもしろそうに見た。そして「なるほど」と言い、「苛々の原因はなに?」と尋ねた。

「たとえば、わたしにはふたりの子供がいるでしょう」
とわたしは言った。
「その子供を育てるときに起きたことや感じたことを、わたしは月に二回、ブログに書いているよね」
「そうだね」
「だんだんそれが、書きにくくなっている。子育てのブログだからと言って、わたしは、心が温まるような文章を書きたいわけでも、泣かせるようなことを書きたいわけでも、赤裸々な文章を書きたいわけでもない、という気持ちになってくる。別に誰にそうしろと言われたわけでもないのに、『もっと正直に書きたいのに』と、ひとりで苛立っている。そういう気持ちを、子育てブログ以外にも感じるの」

一気に話したが、あまりうまく話せたように思えなかった。それで、自分自身のからだを手のひらでぺたぺたと示しながら、こんなことを言った。

「わたしは34歳で、お母さんで、文章を書く仕事をしている。そうでしょう?」
そうだね、と柳下さんは答える。

「でもわたしは、34歳のお母さんとして文章を書くことはできない」

すると、「きっとそういうことだよね」と柳下さんが言った。
「だって君は、『土門蘭』だからね」
その返事を聞いてわたしは、
「ああ、だからわたしは苛立っていたのか」
と腑に落ちた。


「だって君は、『土門蘭』だからね」
久しぶりにその言葉を聞いたな、と思う。
わたしが柳下さんと出会い、小説を書き始めるときに言われた言葉だ。
「君は『土門蘭』として書けばそれでいい。だって君は、『土門蘭』だからね」

その言葉にはそれ以上の意味は一切含まれない。期待も、要望も、何もない。
なのにわたしは、つい自ら自分自身のからだにぺたぺたとラベルを貼り付けてしまう。「34歳」だとか「お母さん」だとか、「小説家」だとか「ライター」だとか、なんやらかんやらと。そのラベルが「人の目」にリンクをはっているのだ、まるで心電図電極のシールみたいに。ラベルシールからは無数の線が伸びて、常に何かに見張られている気持ちになる。その目が、わたしの筆を重たくする。

「あのね、土門さん」
柳下さんは改めて座り直して、両手をテーブルの上で組み、
「僕は『君は常に土門蘭として書くべきだ』ということを、何度も何度も言っているよ」
と苦笑した。
「むしろ僕は、このことしか言っていない」

わたしも一緒に苦笑しながら「本当だよね」と答える。だけど苦笑しながらも、自分のからだが徐々に軽くなっていくのがわかった。ラベルシールは呪いのようなものだ。自ら貼り付けた、自分の呪い。いつもわたしは、柳下さんの言葉でそれを自覚する。そして、慌ててそのラベルシールをはがすのだ。
「まあでも、そう言い続けることだけが、僕の仕事なのかもしれないなあ」
と、柳下さんは言った。



色を乗せるのをためらわれるほどの、清潔で美しいキャンバス。
それに向き合うには、自分も清潔でいることが求められる。真っ白いキャンバスに筆を乗せられるのは、ラベルシールも貼られておらず、「人の目」もまとわりつかせていない、疲労や飽きとは無縁の、シンプルなわたし個人でいられるときだけだ。

真っ白いキャンバスに向かい合っているような気持ちがしないときには、一度自分のからだを点検しなくてはいけない。どこかにラベルシールが貼られていないか? 「人の目」が存在していないか? もしそれらがあるならば、ひとつひとつ自らの手で捨てていくしかない。それは容易なことではないけれど、その点検を行うことで、書くことはきっとずっと続けられるはずだ。

本来「書く」ということは、いつだって新しく、しがらみがなく、自由なことだったじゃないか。だから苦しくも楽しいことで、だからわたしは「書く」ことを始めたんじゃないか。
そのことを思い出して、何度もそこに帰っていきたい。ただの「土門蘭」でいられる場所に。

だから柳下さんは何度も言う。大切なことだから。書くことに、これ以上大切なことはないから。
「君は『土門蘭』として書けばそれでいい。だって君は、『土門蘭』だからね」

「ものを売る」ふたつの原則

「ものを売る」ということが、苦手だった。

むかし、出版社の営業をやっていたことがある。
本屋さんにうかがって、担当のスタッフさんに会い、新刊のおすすめや既刊の補充の提案などをする。わたしはこれが本当に苦手で、4年経っても全然慣れなかった。
なぜ今日売れたのか、なぜ今日売れなかったのか、まったくわからない。いつもおっかなびっくり、営業をしていたと思う。「無理して注文してくれたのではないか」という後ろめたさや、「もう来るな」と拒否されるのはないかという恐怖を、根拠もなく感じていて、毎日緊張で脂汗をかいていた。わたしは営業に向いていないんだろうな、といつも思っていた。

その数年後、今度は自分が小さな出版社をやるようになった。柳下さんと立ち上げた、文鳥社という出版社だ。設立した年に、短歌とイラストの本『100年後あなたもわたしもいない日に』という本を出した。営業をする前に、本屋さんから注文があって、どうやって見つけてくれたのだろうと驚き、とても嬉しかった。その後も、数々の本屋さんや読者の方たちがわたしたちの本を見つけてくれ、注文してくださった。まったくもって、幸運以外のなにものでもない。

だけど、幸運に甘えたままではよくない、ということも思っていた。ちゃんと営業をしなくては。だけど、営業に対する苦手意識が完全にインストールされているわたしにとって、新規開拓は非常に難しいことだった。
「行かなくちゃいけないのはわかっているんだけど」「あーうー」と頭を抱え込むわたしに、柳下さんは笑いながら言った。
「売ろうとしなくてもいい。まずは、知ってもらうだけでいいんだよ」

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その言葉の意味を、わたしはブックフェアで知ることになる。
初めてのブックフェアは、台湾だった。言葉もわからない国で、初めての対面販売。しかも売るものは『100年後あなたもわたしもいない日に』1点のみである。
売れるのだろうか、と最初は不安だったが、結果から言うとなんと2日で100冊売れた。本当にびっくりした。

このときの幸運は、台湾のブックフェアの現地スタッフさんが、非常に良い人たちだったこと。そして、台湾語を話せる柳下さんの友人が熱心に手伝ってくれたことだった。
わたしたちのブースを担当をしてくれた現地スタッフのキリンちゃんという女の子は、日本語が上手で、しかもすごく協力的だった。台湾語で『100年後…』を紹介してくれたり、ポップを作ってくれたりした。手伝いにきてくれた、柳下さんの友達の一心くんや白勢さんも、流暢な台湾語で一緒になって本の紹介をしてくれた。その横で柳下さんは、英語でお客さんと談笑したり、写真を撮ったりしていた。
英語も台湾語も話せないわたしは、ひたすら「ニーハオ」「This is Japanese short poem and illustration book.」「シェイシェイ」を繰り返して、本の中身を見せ、とにかく手にとってもらい続けた。時には「I wrote this.」と言うこともあった。そうすると「You!?」とびっくりしてもらえた。手持ちの数少ないボキャブラリーで、とにかく話せることを全部話す、という感じ。見ていってくれる人には、ほとんどみんなに声をかけた。

最初はぽつぽつとしか売れなかった。手にとって、パラパラとめくり、「Thanks.」とにっこり笑って返される。「売れないのかな」と少し不安になったけど、時間が経つにつれて、気づいたことがあった。一度手にしてくれた人が、会場を一通り回ったあと、帰ってきてくれることが多々あったのだ。そして帰ってきてくれた人は、必ず人差し指を一本立てている。「一冊ください」という意味で。

そのとき、柳下さんの言葉を思い出した。
「売ろうとしなくてもいい。まずは、知ってもらうだけでいいんだよ」

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もうすぐ『戦争と五人の女』という小説が出る。文鳥社2冊目の本だ。
それに際し、改めて柳下さんに「ものを売る」ことについて教わった。
茶店でチャイを飲みながら、柳下さんは「営業の原則はふたつしかないんだ」と言った。

「ひとつは『双方にメリットがある状況でしか、ものを売ってはいけない』ということ。そしてもうひとつは、『人は、知っている人からものを買う』ということ」

わたしは慌ててメモをとる。大事なことは忘れたくない。
わたしが手帳に文字を書きつけるのを待ってから、「まずはひとつ目について説明しよう」と柳下さんは言った。

「こっちだけにメリットがある状態でものを売ると、ぼったくりになる。逆に、相手だけにメリットがある状態だと、買い叩かれる。その関係は長続きしないから、常に双方にメリットがある状態を作るのがいい」

それを聞いて、わたしは自分のことに置き換えて考えてみる。

「たとえばわたしが『ある人に本を売る』状態だとどうなるんだろう。わたしにとっては買ってもらって読んでもらえるのがメリットだけど、その人にとってのメリットは、『良い本に出会えること』でいいのかな? つまり、わたしがその人のメリットのためにできるのは、とにかく良い本を作るっていうこと?」

「うん、それももちろん大事なことだね。だけど、相手にとってのメリットっていうのは、それだけではない。これがなかなか難しいことなんだけど」

「たとえば?」

「たとえば『経営者の孤独。』という君の作品がある。あれはインタビュー集に見えて、普通のインタビュー集ではないよね。あの本は、君自身が孤独を追求するルポルタージュであって、合間合間に君のモノローグやエッセイが入っている。そういう本ですよ、という情報を相手に事前にきちんと伝えることができれば、相手のメリットはさらに増える」

「それはつまり、相手の期待とのミスマッチを未然に防ぐということ?」

「そういうこと。だからここでも、とにかく『知ってもらう』ことが大事なんだよ」

それからふたつ目、と柳下さんは言った。

「人は、知っている人と知らない人とでは、知っている人からものを買う。
たとえば僕は、鷗来堂という校閲の会社を立ち上げたときに(柳下さんは校閲会社の社長でもある)、『神楽坂にある校正校閲の会社・鷗来堂です』と名乗るようにしていた。この一言には大事な情報が入っているよね。場所と、何をやっているかと、名前だ。神楽坂付近には出版社がとても多い。だからその一言で、お客様である出版社の方に『ああ、この会社はうちの近くにあるんだな』『校正校閲をやっているんだな』と理解してもらうことができる。僕の会社は『知っている人』になり、『校正の必要が出たら、いつか声をかけてみようか』と思ってもらうことができる」

「なるほど」

「君が前に、出版社の営業でやっていたことと同じだよ。君は、毎月同じ書店さんに顔を出して、挨拶をして、本の案内をしていただろう。そうすると、顔を覚えてもらえて、土門さんは書店さんにとって『知っている人』になる」

「そうだね。何かあったとき、知らない人よりは知っている人……つまり『土門さん』に頼もう、って思ってもらえるわけか」

「そういうこと」

なるほどなあ、とわたしはうなった。

「営業っていうのは、『双方のメリットがある状態』と『知っている人である状態』を作るってことだったのかー」

力を込めてうなずき続けるわたしを、柳下さんはおもしろそうに見た。「納得した?」と聞かれて「納得した」と答える。確かに、わたしがものを売っていて売れるときってその両方が満たされたときだな、と思った。


「ものが売れる原則はとてもシンプルだ。わかりやすいでしょ?」

「わかりやすいね」

「まあ、難しいことでもあるんだけどね。だけど、このふたつを愚直にやり続けていれば、必ず売れるようになる。僕はそう思っている」


その話を聞いて、自分が「ものを売る」ことに罪悪感を持っていたんだなということがわかった。
かつて、わたしはとにかく「売ろう、売ろう」としていた。それは、小さな穴にボールを投げ続けることに似ていた。だからすごく緊張していたし、不安感が大きかった。
だけど、たとえば台湾のブックフェアでやったことは、それとは全然違っていた。

「今買わなくてもいいから、こういう本がこの世にあるのだということを知ってほしい」

そう思いながら、ひとりひとりとの出会いを大事にしていた。
わたしはあのとき、長く続く関係性のスタート地点にいるような気持ちだった。

それは、穴にボールを投げる行為ではなく、その人の中に穴を掘る行為、のようだった。その人の心に、コツコツと穴を開けていく。いつかきっと、そこにボールがはまる時が来る。今じゃなくてもいい。きっとこの先に来る、そういう時のために。

チャイを飲みながら、『戦争と五人の女』も、そんなふうに売っていけたらいいなと思った。そう思えたことが嬉しかった。一度離れた「営業」と、またこうしてちゃんと向き合えたことが。

「あっ、だから柳下さんは、『戦争と五人の女』ができるまでのことを書き残すべきだって言っていたんだね」

以前からずっと柳下さんに、『戦争と五人の女』がどうやってできたかを書くべきだ、と言われていたのだ。わたしはその理由がよくわかっていなかった。それは、『戦争と五人の女』を販売するにあたって「双方のメリットがある状態」と「知っている人である状態」を作るべきだ、ということだったのだ。
わたしがそう言うと、柳下さんはやれやれというふうに笑い、「やっと伝わった?」と言った。「やっと伝わった」と答えたら、「それはよかった。今まで君に伝わらなかったのは、きっと僕の伝え方が悪かったからだな」と彼はうなずいた。


「さっきのふたつの原則は、僕が営業をしていたときの師匠に教わったことなんだよ」
と、柳下さんは言った。きっと、若かりし頃の柳下さんは、たくさんものを売ったのだろうなあと思う。


「今度の本もとても良い本だから、頑張って売っていこう」
柳下さんがそう言って、わたしは「うん」と返事をした。

これから、『戦争と五人の女』のことについて書こうと思う。
こういう本がこの世にあるのだと、まずはきちんと知ってもらうために。

神楽坂の「ニコニコさま」

こんにちは。日本全国の「おじさんさま」を調査、研究している今井夕華と申します。

 

みなさんは、「おじさんさま」を知っているでしょうか?

 

おじさんさまとは、少年の心をいつまでも大切にして、夢中で好きなことを追いかけている「好奇心の精霊」が宿る神様のこと。

 

インドから伝わった信仰とされ、日本では、みなさんもよく知る「タモリさま」というおじさんさまが最も有名です。

 

長く使われた道具には、魂が宿り「つくも神」になるとされていますが、おじさんさまも同じ。

 

年を重ねて、周りの人たちがどんどん「大人」になり心が死んでいっても、決して少年の心を忘れない。

 

そういった、選ばれし純粋な人だけが、40歳の誕生日を迎えた次の満月の夜、光に包まれ、おじさんさまになれるといいます。



私は中学時代「クドカンさま」という神様との出会いをきっかけに、おじさんさまに興味を持ち始めました。

 

面白い作品を生み出すことに才能を発揮する反面、生きることには至っては非常に不器用で、職務質問は日常茶飯事。

 

生きづらさあってこその愛おしさを感じます。

 

何年か前に、中央線沿いの喫茶店で偶然クドカンさまのご本尊を拝見したことがあるのですが、売れてもなお挙動が不審で、いやはや裏切らないなあと感動したことを覚えています。

 

その後私は、みうらさま、オーケンさまといった「サブカルさま」たちの不器用で愛おしい生き方に触れ、荒れ狂う社会の渦の中でどうやって、好奇心の精霊を守り、生き延びてきたんだろう?と気になり、どんどんとその魅力にはまっていきました。

 

サブカルさまだけでなく、ガード下で一人、昼間から飲みつぶれているあの人も、実は「どこまでお金がなくても生きていけるんだろう?」ということを追求している、飲んだくれさまという神様です。

 

カメラさま、昆虫さま、プラモさま、パチプロさまなど、日常のあらゆる場面におじさんさまは隠れています。

 

嫌でも心が死んでいく現代社会において、おじさんさまは救世主。

 

おじさんさまに出会えたら、それは幸運の印です。あなたの心に、好奇心の精霊を宿すためにも、ぜひ拝みましょう。



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これは、神楽坂に伝わる「ニコニコさま」のお話。



【ニコニコさま】

ニコニコさまは、日本に伝わるおじさんさまの一種。

むっちりとした体つき、もじゃもじゃの髪の毛、丸い眼鏡をかけているのが特徴。

地域によって呼び名が異なり、そのニコニコとした様子から「ごきげんさま」「きげんさま」「ゴキゲンノカミ」「キゲンノカミ」。

確認できているだけでも、その分布エリアは広く、日本全国に祀られている。
当初はごきげんな様子を表すことから「機嫌さま」だとされていたが、近年の研究により、東京の神楽坂地域に限っては「期限さま」と表記が異なることが分かった。

これは、神楽坂地域に出版社が多く、締め切りに追われていた村人が多かったことから「きげん」という音に「期限」という字が当てられたものと考えられる。

転じて「締め切りの精霊」とも。




昔からこの辺りには出版社が多く、締め切りに追われてイライラしている不機嫌な編集者が多かったそうです。

 

ある日、とある編集者がストレス解消のため、喫煙所に出てタバコを吸っていたときのこと。

 

背後から「ねえ君!僕にタバコを一本くれない?」という声が聞こえてきました。

 

編集者がびっくりして振り向くと、むっちりとした体に、もじゃもじゃの髪の毛、丸い眼鏡をかけた、知らないおじさんが立っています。

 

そのおじさんは、ニコニコと笑い、続けてこう言うのでした。

 

「僕、もらいタバコするのが好きなんだよね!君と同じ味を、同じ空間で一緒に味わえるじゃない?ふふふ」

 

誰だろう、このおじさんは。

 

編集者は入社して5年目でしたが、今まで見たことのない人でした。インパクトのある見た目だし、偉い作家の先生なのかもしれません。

 

失礼があってはならないと、すぐにタバコを一本差し出すと、嬉しそうにふかしはじめるのでした。

 

「ふふふ、ありがとう。おいしいなあ。君は編集者なのかい?どうやら締め切りに追われているようだね」

 

「そうなんですよ。今日も遅くまでかかりそうで……」

 

「お悩みの様子だね。僕でよかったら、話聞かせてよ!」

 

「実は、担当している作家さん。締め切りがいっつもギリギリなんです。何度言っても直らなくて。本当にイライラするんですよね」

 

「そうなんだね」

 

「忙しくて全然休み取れてないし」

 

「うんうん」

 

「ずっと付き合ってた恋人とも、すれ違いが原因で別れちゃったし。そろそろ、この仕事やめようかなって……」

 

話すつもりはなかったのに、どんどん言葉が口をつく。暗い表情を浮かべる編集者の肩を、おじさんはポンと叩きました。

 

「まあまあ!君にいいことを教えてあげよう。作家が締め切りに間に合わないのは、実は編集者のせいなんだよ、ふふふ」

 

「え?僕が悪いって言うんですか」

 

「いやいや、君のことを悪く言うつもりはないよ。ただね、人は書けないものなんだ。作家のお尻を上手に叩いて、締め切りに間に合わせるのが編集者の仕事だよ」

 

「人は書けないもの……」

 

「そう。そして、やると決めたらニコニコやろう、というのも心がけておくといいいよ。ニコニコしている人には仕事が舞い込んでくる。誰だって、不機嫌な人に仕事を頼みたくはないだろう?ニコニコしていたら、いいことがたくさんあるんだよ。ふふふ」

 

ニコニコしていたら。編集者はその言葉を心の中で繰り返し、あれ、最近ニコニコしたことあったっけ、と考えてしまいました。

 

5年前、大好きだった出版社に晴れて入社できたけれど、仕事の忙しさからすれ違いになり、ずっと付き合っていた恋人とも別れてしまった。

 

趣味の本屋巡りをする機会も減ったし、カフェでゆっくりコーヒーを飲む時間も取れていない。

 

いつもいつも締め切りに追われ、作家の先生にイライラし、気づけばもうすぐ30歳。

 

タバコの灰が落ち、ふと編集者が顔を上げたとき。

 

おじさんはもうそこにいませんでした。

 

「……なんだったんだろう。不思議なおじさんだったな、ふふふ。……あれ、俺笑ってる」



以来その編集者は「やると決めたらニコニコやろう」という言葉を胸に仕事を続け、ベストセラー作家を抱える超売れっ子になったそうです。



神楽坂界隈の編集者の間では「ニコニコさま」という呼び名で、今もなお、その噂は語り継がれています。

 

最近神楽坂のとある神社から、ニコニコさまについての記述がある古い書物も発見されました。



御機嫌様

十大効能

 

締切間合

書籍良売

誤脱字減

食欲増進

美肌効果

二日酔無

快眠快便

全員笑顔

戦争終了

世界平和

 

どうやら良いことがたくさんありそうですね。

 

しかし、頼り過ぎにはご用心。

 

正しく理解し、丁重に、ほどほどに取り扱わないと、その強すぎる「ごきげん力」にあたってしまうというのです。

 

ごきげん力は絶対善。

 

こちらがいくら不機嫌になっても、ニコニコさまのごきげん力の前ではなすすべ無し。怒りや哀しみの感情は、圧倒的包容力に吸い込まれてしまいます。

 

たとえば、朝が早くてイライラなときには。

 

「僕はあまり寝なくても大丈夫なんだ。訓練しているからね。ふふふ」

 

残業でイライラなときには。

 

「迎えに行くよ。タイムズカーシェアは、夜12時を過ぎるととっても安いんだ。ふふふ。ドライブしながら銀座に行って、夜景の見えるつるとんたんで、美味しいうどんを食べようよ」

 

カバンが重くてイライラなときには。

 

「僕が持つよ。不機嫌になる前に先に気づいてあげられればよかったね、ごめんごめん。君にとっては重いカバンでも、僕にとっては軽いんだ。筋肉があるからね。ふふふ」

 

こちらが一切悪くなかったとしても「ニコニコさまは、なんて心が広いんだ。対して私の心の狭さといったら……」という気持ちにすらなってしまう力があります。

 

ニコニコさまは喜びと楽しみを追求している神様なので、一緒にいる人に「喜怒哀楽」の怒と哀の感情が発露したら、無意識に吸い取ってしまうようなのです。

 

ニコニコさまを祀っている全国各地の神社では、8年に一度、7月4日の夜に「怒哀感情解放の儀(どあいかんじょうかいほうのぎ)」と呼ばれる、感情を解放してあげるお祭りが開かれてきました。

 

ご本尊をやぐらの上に掲げ、周囲を取り囲み、村人全員で「やると決めたらニコニコやろう音頭」とよばれる踊りを踊り続けます。すると、夜明けとともに、ニコニコさまの感情が一気に放出されるのです。

 

この儀式が行われなかった場合、ニコニコさまの感情は正しく放出されずに爆発してしまい、たたりとして、村中の締め切りは全て破られ、誤字脱字が大量発生。編集者たちには大飢饉が襲いかかると言われています。

 

感情を放出し、大声で、怒ったり泣いたりするニコニコさまの様子は、「いつもニコニコしているニコニコさまでも、こんな感情になるんだな」と勇気を与えてくれます。

 

SMAPですら解散するような現代社会において、絶対というものは存在しないと、ニコニコさまは私たちに思い出させてくれるのです。

 

今なお、感情のお祭りは全国各地で開かれていますし、祀ってある神社もたくさんあります。

 

不安になったとき、イライラしたときには、ちょっと立ち止まって、ニコニコさまのことを思い出してください。

 

どこかできっと、あなたを応援してくれているはずです。

 

「ふふふ、君は絶対に大丈夫だよ。やると決めたらニコニコやろう!ニコニコしていたら、良いことがたくさんあるんだよ」




おしまい